慶応義塾高校の活躍から学んだこと

「教育」を「education」と訳すのは一般的です。

しかし、私の「教育」について少し異なるニュアンスをもっています。

私が、主に看護教育をしていたからでしょうか。

看護教育に特化していることによって、「その職を持って生きるということ」を「教育」のいう意味合いを持っている気がします。
どんな境遇に生まれたとしても、どんな環境に置かれていたとしても、学ぶことによって生き方を見直す機会が与えられます。

つまり、私にとっての教育とは、回復力や柔軟性が関係しています。

「resilience」がしっくりくるのでしょうか。

慶応義塾高校野球部の優勝を楽しみながら、教育とは何かを今一度、見直している感じです。

そもそも”Education” はラテン語の動詞 “educare” から派生していますが、”educare” は「育てる」「指導する」という意味があります。

“educare” は「外に引き出す」という意味の “ex-” と「導く」を意味する “ducere” から成り立っています。

このことから、教育は「能力を引き出す」という行為として解釈されてきました。

情報が民主化した今、相手の中にある潜在的なものを顕在化させるという教育はちょっと違う気がします。

時として必要な場合もあるかもしれませんが、ほとんどが自分で学べる時代になったのです。

監督の指示通り動かない選手を育てる、看護教育にも必要ではないでしょうか。

じゃあ、私は何者?

応援団です。フィードバックの専門家とか・・・