まずは「気づく」

アンコンシャス・バイアスとは、無意識のバイアス。自分自身気づいていない「ものの見方」「とらえ方」「思い込み」のこと。

アンコンシャス・バイアスは、過去の経験や知識、価値観などによって、自動的に判断して行動に現れる。偶然を装っているが、無意識的にそのような行動を起こしているケースがある。放置しておくと、同じような失敗や不信感を与えかねない行動を引き起こす。私の中にも山のようにアンコンシャス・バイアスは存在する。

看護師国家試験の学習過程において、受験生のアンコンシャス・バイアスによって、解ける問題も解けなくなっている学生を見かけることがある。

「英語好き?」と訊くと「きらい!」と返ってくるやいなや「だから、カタカナ用語とか、カタカナの人名とか、ややこしくなります~」。「なるほど」。とはいっても、「accountability」を発音しなさいと言う問題は出ない。カタカナと言うだけで、日本語風に訳されたり、日本語にはないような意味合いなので仕方なくカタカナにしていることもある。世界各国で使われる「#kawaii」とおなじだ。「思い込み」によって、間違うだろうつもりで解いて、案の定、間違ってしまうという負のループ。

「風邪をひく」「おなかが痛い」も高校受験のエピソードをわざわざ引き出してきて、風邪をひいたり、お腹が痛くなったりしている。決してアンコンシャス・バイアスを否定しているわけではない。誰にでもある。そこに「気づくこと」が大事だ。「気づくこと」で意識的に違う行動をとることができる。

私が最近、自分の口から出たアンコンシャス・バイアスに基づいた言葉がある。我ながら「ギョ!」とした。男性の受験生に対して「男性はね、追い込みの集中力がすごいから」と言ったのだ。私は、心の中でアンコンシャス・バイアスだと思った。女性も同じように追い上げる。この言葉は、40年前に、母が私に兄と比較して言った言葉だ。中学生のとき、学年順位が兄の方がよかったと言いたかった。だから、あなたももっと頑張りなさいと言いたかった、でも女の子だから無理か、が自動的についていた。しかし、冷静に振り返ってみると兄の上にいた学年トップは女子だった。集中力や暗記力に性別は関係ない。厄介なことに長いことバイアスがかかり続ける。

受験生の皆さん、留年しても、浪人しても、准看護師から受験したとしても、トップクラスで受かる人は受かる。「今」が大事だ。林修先生のパクリのようになってしまったが、私が言いたい「今」は、知識や経験は「過去」のものであり、「今」は違うかもしれないということだ。自分にも言いたい。

「○○が苦手」「○○に弱い」「○○は嫌い」は、自動的に湧いてくる思いや考えであって事実ではない。

学生の言動からアンコンシャス・バイアスはよくわかる。つまり、客観視するとよくわかるのだ。学生にしてみれば、私のアンコンシャス・バイアスがよくみえている。大事なことは、お互いのアンコンシャス・バイアスを言い合えると意識化できて、コミュニケーションエラーが減る。

そして、看護師国家試験のような1日に、自分の力を惜しみなく発揮することができる。