笑顔になろうとする力

私の幸福度は、全人類の上位10%以内に入っている。幸福度と言うのは主観なので、あくまでも自己申告である。他人からどう見られているかは、わからないが私はとても幸せだ。きっと「すごく幸せと感じている人」というカテゴリーに属している。

生まれながらにして幸せだったかと言えば、そうでもなかったかもしれない。しかし、50歳半ばになってつくづく幸せだと感じるようになった。先日、地方の病院で研修を行った。その際、ホテルで一泊した。下着を忘れてしまった。近くにコンビニなどない。仕方なく、洗面所で手洗いしてハンガーに干しておいた。朝になったら乾いていた。嬉しかった。幸福度爆上がりである。

次の日何食わぬ顔をして、研修を行い、律儀に「私、昨日、パンツを持ってくるのを忘れましてね、」と話をした。ネタだ。研修室は、思いのほか大爆笑には至らなかった。しかし緊張感がほぐれた。ちょっとしたアクシデントは、すべて自分も人も笑顔になる小ネタにすぎない。

ベッドサイド、職場、家庭、どんな人間関係の間柄でも、ちょっと笑いがあれば、心理的な安全性につながる。自虐ネタと言うのではない。誰も傷つけずに、私をさらけ出すことができるのだ。自己表現だ。実にクリエイティブな思考力である。

生命の危機にさらされた経験があったとしても、生きていれば、人生のコクと深みだ。たとえ、残された人だったとしても、一生そのことを引きずりながら生きたとしても、「笑顔」になる日がきっと来る。私は、そんな人を数えきれないほど見てきた。喪失した人、事故をした人、過ちを犯した人、口をそろえて言う。「もう一生、笑うことなんかない」と。でも、笑う日が来る。突然来る。誰にでも来る。筋肉の病気で笑顔をつくれない人やその他の病気や障害があっても、脳内の色彩が変わる瞬間がある。

私は、50歳半ばまで生きてきた。仕事の側面で見れば、看護師をして、看護教員をして、また起業をしたことによって、さまざまな体験をしてきた。中には、ユニークな経験もある。また、進路、就職、結婚や出産、介護、看取りなど自分の人生における側面から見える「暮らしの中の看護」も当事者として見てきた。ごく平凡で、ラッキーだった。

次の問いに何も考えずにイエスか、ノーで答えていってほしい。イエスが多いからいいというゲームでも心理テストでもない。人生の中で誰もが起こるような出来事だ。その一つ一つに物語がある。それぞれの人生で経験したことの中に、今後生きていくヒントがある。ただただ、経験が通り過ぎていくのはもったいない。時々、その経験を見直してみると、今後、どう生きてゆくのかが見えてくる。過去にヒントがある。なぜなら、自分自身が何かを感じ、考え、行動した積み重ねだからだ。嬉しかったことも、嫌だったことも、そう感じたという事実は、誰でもなく自分なのだ。

問い

人が死んでいくところに立ち会ったことはありますか。

赤ちゃんが生まれてくる瞬間に立ち会ったことがありますか。

みかん箱のような棺に入った赤ちゃんに出会ったことはありますか。

子どもたちの笑い声が、鮮やかな色を帯びて耳に入ってきたことはありますか。

人が病と闘っているそばで「私にできることは、もうないのか」と途方に暮れたとき、手を添えただけで喜んでくれたことはありますか。

昨日までバリバリ仕事をしていたのに、突然の事故で手足の自由を奪われ、「絶望しかない」という人生について語り合ったことはありますか。また、どん底から、ぎしぎしと軋む音を立てながら這い上がってきた人を見届けたことはありますか。

お年寄りが、いつも使っているお箸を何に使うものかわからなくなって立ち尽くしているところに出合ったことはありますか。

「死」を宣告された人のそばで、その人の交感神経の高ぶりを感じたことはありますか。そして静かに受容していく様子を、瞬きを忘れて見つめていたことはありますか。

自殺したいと思っている人を見抜けなかった悔しさに立ち尽くしたことがありますか。

夢を手に入れた人の向こうに何があるかを見たことはありますか。

異質であるがゆえに互いを受け入れることができない状況の狭間に立ったことはありますか。

この問いは、私が体験してきたことそのものだ。その体験は、私に無力さを見せつけ、消化できず、抱えきれず、理解できず、逃げ出してしまうことばかりだった。時には、有頂天になって、間違った方向に全力で走っていたこともあった。それらを書き出してみたことで、私は、私の中に生まれながらに備わっていたものを活用しながら、生まれ育った環境に翻弄されながら生きてきたことを味わってきたとわかった。そしてこれからは、死ぬ瞬間まで生きることを楽しんでみようという気持ちに至った。

私は、大正や昭和の価値観を引き継ぎ、前に進もうとする行動をから逃げていることがある。これから先、まだ起こり得るかどうかもわからないことに、くよくよしていることもある。しかし、振り返ってみると、うまく乗り越えたことも、乗り越えられなかったこともある。結果、なんとか今に至っている。だから、それでよかったのだ。

今後、どんなふうにして、自分のやりたいことを楽しく、そばにいてほしい人たちと過ごしていけばいいのかを考え、行動していくだけなのだ。

私は運動が好きじゃない。厳密にいえば、球技だ。私が歳をとって介護施設で風船バレーをしたくない。祖父のように死にたくない。身の回りのことをきれいに整理整頓して、死ぬための支度をして、いつもの「行ってきます」という感じで死んでいきたい。私は、私としての小さなプライドを守られて死にたい。例えば、しっかり話を聴いてほしい。聴いてくれるだけでいい。そのために、私にも戦略がある。話を聴いてほしいなら、話を聴きたくなる話をした方がいい。面白い話つまり興味深い話だ。面白い話は、誰にとっても面白いわけではない。その人にとって面白い話をする人になれば、話を聴いてくれるだろう。その人にとって面白い話とは何か、それは話を聴いてみないとわからない。話を聴いたうえで、話をして聴いてもらおう術を歳を重ねるごとに身に着けておくことだ。私は、授業をしたり、研修をしたりして、相手が「なるほど」と思っている顔を見るのが好きだ。あの顔を手掛かりに話をしていけばいい。双方に幸せだ。

私は、死ぬまでの計画を立てた。できそうだ。つまり私は、かなり幸福度の高い人生を歩み続けるだろう(大爆笑)

①健康であること☛暴飲暴食はしない。1日6時間寝る。毎日排便をする。162㎝、50kgをキープする。歯を大切にする。

②感性を磨くこと☛よく笑うこと。あちこちに行くこと。歩くこと。刺激的なものに触れること。

③クリエイティブであること☛没頭すること。夢中になる時間をつくること。創り出す、表現することを続けること。

④関係性を築くこと☛話を聴くこと、話をすること。感謝をすること。

⑤自分の居場所を自分で確保すること☛嫌なことは嫌だという。居たくない人とは一緒に居ない。話したくない人のために自分の命の時間を使わない。もし使ってしまったとしても、人を傷つけずに笑いに変える。故意的でなく人を傷つけた時は謝る。自分の意図を伝える。