人生の潮目

朝から蝉の声がうるさい。都会だがうるさい。夏が来たという感じになる。

患者さん(Aさん)の診断名は、複合性局所疼痛症候群(CRPS)だった。50歳代の男性だった。最初は、仕事中の外傷が原因で上肢の痛みが続いていたが、頸椎の疾患を伴い、「焼けつくような痛み」を訴えていた。筋力低下、振戦、手指は屈曲したまま固定していた。関節可動域が制限されていたため、日常生活にも影響があった。手術、薬物、リハビリテーションといった治療は長期間を要した。

Aさんは新婚さんだった。新婚と言っても再婚だった。前妻との間のお子さんが20歳になったことを契機に、離婚した。そして、入院中よく面会に来ていた女性と再婚したようだ。いわゆる略奪婚だ。Aさんは病院食は口に合わないと言っていた。新・奥さんは、手料理を花見にでも行くかのようなお弁当箱に入れていつも持ってきていた。「おいしそうですね~」と言うと「いや、まずい」とAさんは言う。新・奥さんは、口をへの字にして無言でAさんの顔を見た後、私の顔を見た。実に気まずい空気の中、お弁当のにおいが漂っている。

私は、内心、別れた奥さんは、「正解!」と思った。私は仕事だから話もするが・・・・と思った。

ある日私は、新・奥さんがAさんの部屋の前で、お弁当を抱えたまま立ち尽くしているのを発見した。夏の暑い日だった。新・奥さんはまだ、汗がひかず、ブラウスの背中に汗がにじんでいた。「暑いですね」と声をかけると、新・奥さんの目が真っ赤になっていたので、「汗がひくまで、面談室に行きますか?」と声をかけるとうなずいた。

面談室は誰もいなくて、二人だけだった。「私って、貧乏くじひいたよね?」と真顔で言った。「結婚なんかするんじゃなかった。あのまま、通って来てくれる関係でよかった。こんな病気になるんだったら、介護するために結婚したようなものだ」と語気を荒げた。

こんな時「そうですね」はおかしすぎる。「何かあったんですか?」も白々しい。私が何という合いの手を入れたか忘れてしまったが、そこからの新・奥さんの暴露話は、胃の内容物を全部ぶちまけたうえで、胆汁を吐き散らかすほど、Aさんの愚痴を言っていた。時々ヒートアップしすぎて、私は声を落とすようにジェスチャーを挟んだ。胆汁も吐き散らかすと、もう出てくるものがなくなったのか、口の中に後味の悪さが残ったのか、だんだんトーンダウンしていった。新・奥さんは大きなため息をつきながら、時計を探して「うわ、こんな時間。また怒られるわ」と言った。「私も一緒に行きましょうか?」と言うと「そうして!」と言った。

私から先に「失礼しまーす」と言ってAさんの病室に入っていくと、「看護師さんか」と言うような顔をした。私の後ろから、新・奥さんがひょっこり顔を見せると、Aさんは「あ、」と言う表情をした。「嬉しい、待ってたよ!」と言いたいのか「遅いじゃないか、何してたんだ!」が交じり合っていた。表情筋は言葉よりもメッセージを出す。

にもかかわらず、「遅いな~何してた?」とののしるように言った。私は「すみません、私と話をしていました」というと、「どうぜ、俺の悪口やろ」と言った。どうやらAさんには自覚があるらしい。「こいつは、俺と結婚したことを後悔してるねん」「ピンポーン(私の心の声)」。新・奥さんは、黙々とお弁当箱のふたを開けて食事の準備をしていた。Aさんは、お弁当箱の中を覗き込みながら「また、オクラか。」と言った。Aさんは、いちいち癇に障ることを言う。いちいち言うだろうと思う嫌なことを余さず言う。

Aさんはお箸を使いたがった。確かにオクラのお浸しは、食べにくい。Aさんの症状からするとフォークで突き刺しながら食べるのがやっとかもしれない。Aさんは、フォークもスプーンも使いたくないと言い張っていた。私は「オクラのお浸しは、食べにくいですか?」と聞いてみた。「せや、食べにくい。そんなことに気の付かんヤツやねん」と言った。新・奥さんはそっぽむいていた。「しまった!夫婦喧嘩のゴングを鳴らしてしまった!」私は、速やかにゴングごと持ち上げて、どうでもいい話をそこそこして立ち去ることにした。立ち去る前、新・奧さんは、Aさんの口にオクラのお浸しを運んでいた。Aさんは、オクラの種が歯の隙間に入るのをとるように口を動かしながら食べていた。

仲のいい夫婦に見えた。仲のいい夫婦なのかもしれない。同じ夢をかなえた夫婦なのかもしれない。目標を見失った夫婦かもしれない。

痛みが続くというのは、心理的苦痛(抑うつ、不安、怒り)のもととなる。50歳代、離婚や結婚、事故や入院生活、目まぐるしく変化した人生の潮目を、私はただ見届ける人だった。時々、胃の内容物のすべてと胆汁をぶちまけられる人でもあった。

達観しなければ見えないこともあることを知っておくことが大事だ。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。