パンジーの思い出

彼は、入れ墨彫り師だった。

家族とは疎遠になっていた。誰も面会に来ない。

「どなたか会いたい人に連絡しましょうか?」と訊くと「会いたい人はいるけれど、人には言えない人だ」と言った。彼は、いつも意味深だ。

 

彼は、末期がんだった。彼も理解していた。

彼の身体を拭いていると「看護師さんに似合う入れ墨がある」と言って、白衣から出た私の腕を指さした。

「どんな入れ墨ですか?」と訊くと「パンジーの花や」と答えた。

「パンジーの入れ墨なんか、見たことないですね~」と言って爆笑した。彼も笑った。

「風に吹かれると花びらが揺れるやろ、それが笑顔のように見える」と言った。

彼は、思いがけず素敵な言葉を使う。

 

私はパンジーに思い出がある。

中学生のころ、美術部で校庭のパンジーを描いていた。というより、花壇の向こうにあるサッカー部の練習を見ていた。

背番号10番の片思いの人だった。

 

彼の身体を拭き終わる頃、私は少女のような感情を抱いていた。

 

看護師は時々、患者さんと時空を超えて交流をすることがある。

彼に面会者がいないからと言って、孤独というわけではない。面会者が来ても、孤独を味わうこともある。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。