苦痛の種

だれにでも「こだわり」はある。

外科病棟で看護学生が受け持たせていただいた患者さんは、コードやリモコンなど身の回りにあるものがまっすぐに並んでいないと気が済まないという「こだわり」があった。

几帳面な性格というだけで、入院する前は仕事も家庭生活も営んでいた。

手術の後、点滴やこまごましたチューブ類が、患者さんの身の回りに散らかっていて、患者さんは学生を呼び止めては「まっすぐにして欲しい」と頼んでいた。ご自身も「細かなことが気になる性分でね」と申し訳なさそうに言っていた。でも、やめられない。

訪れる外科医や看護師は、手術の後の様子は尋ねるが、誰一人「チューブの角度はこれでいいですか?」とは尋ねない。当然である。

学生は、患者さんの「苦悩の種」に気づき、チューブ類の角度、テーブルに置かれているリモコンやティッシュペーパーの箱の配置や角度を確認しながら整えて退室した。

「細かなことが気になる性分」で済まされているうちは、一つの性分にすぎない。しかし、何かのきっかけで、「やりすぎ」になり生活に支障が出ることもある。

患者さんは、遠慮して言えないことが多い。「苦痛の種」を抱え込むことによって、健康の回復や人間関係に影響することもある。「苦痛の種」が今の病気を生んでいる可能性もある。新たな病気を生むこともある。

患者さんは、退院する前、学生に自分の「苦痛の種」によって長年生きづらさを感じていたこと、精神を消耗させていたことを語ってくれた。手術後、学生が身の回りを整えてくれたことが、「生きづらさ」を認めてくれたように感じたと感謝してくれた。

患者さんは「こだわり」とともに、生きていくことを決めた。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。