「当たり前」を正解と思ってはいけない。

前例主義は、思考停止と同じである。

今年度上半期は、様々な視点から看護教育の場面にかかわることができました。対象年齢の若い人から順番に言えば、高校生1年生の看護科コースの講義や演習、カリキュラム作成。看護学生入学前のキックスタート講座、看護学生の授業、演習、臨地実習指導。個別塾、国家試験合格講座、国家試験浪人生合格講座。新人看護師や2年目看護師オンライン研修、プリセプター研修、臨地実習指導者研修、新人看護師教育責任者研修、外国人スタッフ受け入れ準備研修、看護補助者研修などなど。

どちらの立場も「わかる、わかる」ということが私のつよみ。臨地実習指導者研修では、学生あるあるをリアルに言えるし、その時の指導者さんの戸惑いや困惑、時には感動もリアルに伝えることができます。学生に対しても同じです。指導者さん目線で話すことができます。あまりにもリアルすぎると「かえって不安になる」という意見もあります。そんな時は、子育てに置き換えたり、一般企業の例を取り上げたりしています。

そんな中、自分の動きや思考も含めて客観的に見てみると、看護教育に根強く残っている「当たり前」みたいなものがあります。

たとえば、学生の「お昼休憩に行ってきます。」という謎の挨拶。確かに私も30年以上前に言うてました( ´∀` )。しかし、この挨拶の本質的な部分は、「●号室の△△さんを受け持たせていただいている学生の○○です。いまから●時●分までお昼休憩に行かせていただきます。△△さんには昼食後の口腔ケアの実施について声掛けを行いました。私が休憩から戻り次第、口腔ケア実施後の確認を行います。」とか。

お昼休憩に行くという声掛けが重要なのではなく、お昼休憩前の受け持ち患者さんの状態や学生が不在にしているときの受け持ちの患者さんの状態の予測、お昼休憩後に何をするかを情報共有できるか、また、そのアセスメントは妥当かどうか、そのケアの方法は患者さんにとって最善かどうか話し合えることが大事です。かといって、同室患者が食道静脈瘤破裂しました、というところに口腔ケアの報告や相談をされても、という場面はあると思います。それこそ臨機応変に。見学したいのか、昼休憩に行きたいのか、意思表示と計画を修正する力、昼休憩をきちんととるというセルマネジメントする力。これは、指導者の力量も学生の力量も、引率教員の力量も問われます。

統合実習では複数患者受け持ちやメンバーの役割やリーダーの役割、看護師長の役割、夜勤実習を学ぶ構成になっている学校が多くあります。この実習こそ、早期に持ってきたほうが病院の人の動きや仕組みを学び、情報共有することの真意が理解できるのではないかと思います。その経験を各論実習に生かしていけると「お昼休憩に行ってきます」という挨拶より進化した情報共有の時間が生まれるのではないかと考えます。間違いなく学生はできると思います。アルバイトしている学生はアルバイト先でできてますから(笑)

「お昼休憩行ってきます」という学生の挨拶は、前例主義なのか、当たり前のことなのかを見極めていきたいです。学生の昼休憩は全員そろわなければならないのかも含めて、指導者さんや学校の先生方と双方で話し合い、学生が使いこなせる環境をつくっていけるといいなと思います。この情報共有は患者の健康回復のためにあるのですから、急がないと!