核心をとらえるコミュニケーション

看護師にとってコミュニケーションは、重要なアイテムです。

傾聴や共感といった王道はもちろんのこと、必要な情報は、ちょっと聞きにくいと自分が感じても訊かなければなりません。経済的なこと、仕事や学校あるいは家庭内の生活、セクシャリティに関すること、死生観にかかわるようなことなど、ぐっと踏み込んだことを訊くこともあります。訊く力とか、質問力とかです・・・。

よくありがちな「そこまで聞いていいものか、と思って・・・」という謎の迷いが、歯切れの悪い質問になってしまい、相手も何と答えていいものかわからなくなり、お互いに気まずくなることもあります。

斎藤学先生の『質問力』では、いい質問とは、「具体的かつ本質的か」「 現在と過去が絡まり合っているか」など、座標軸を使って説明してくれています。

学生のロールプレイングやシミュレーション学習では、患者役の人に対して「体調はいかがですか?」と聞いている場面を見かけます。大抵「んん、まあ、まあまあかな~」みたいな返事が返ってきます。しかし、具体的かつ本質的な質問に変えると「痛みどめを増やしてから、痛みは変化しましたか?」とすると、「痛みは、ましになった」「あまり変わらない」「全然効かなかった」など、かなり焦点化した情報を得ることができます。しかし、焦点を絞った質問は具体的かつ本質的な質問ですが、それを連発するとおかしな文脈になります。結局のところ、質問する力と傾聴する力が大切になります。そして、患者さんの「今」を大切にしたり、「生活してきた過程」を整理したりする力も大切です。しかも、整理するのは、患者さん本人の気づきであることが大事です。

私は10年ほど前に、高校生から「看護師として患者さんを看護してきて、もっともつらかった経験を教えてください」という質問を受けたことがあります。「やりがい」や「うれしかったこと」はたびたび聞かれますが、「つらかったこと」は初めてでした。しかも「夜勤がしんどい」とかではなく、患者さんとのエピソードで・・・・です。一瞬「なんやろ?」と思いました。でも、あるわ、あるわ。それに答えながら、とても看護の本質的な部分に触れることができた経験をしました。その経験から、私は、自分の看護の経験を語るとき「つらかったこと、失敗談」を話すことにしています。そうすることで、聞き手も「どうしたらいいか」を考えてくれるようになりました。高校生の質問によって学んだことです。

看護師の情報収集力を鍛えるということは、患者に気づきをもたらす「質問力と傾聴力」を鍛えることかもしれません。