「依存」「落ち込み」「怒り」も表現だから、言葉にして伝え合おう。
精神看護学は「身体的・精神的・社会的に調和のとれた状態への看護」と「精神科医療における看護」が、切り離されることなく日常に存在しています。暮らしの中、集団の中に言葉にできていない身体とこころの表現があることを忘れてはなりません。そこに耳を澄まして聴く、目を凝らして看ることのできる看護師になりたいです。
精神看護学援助論演習や実習は、普段の生活の中で「気づき」をもたらすものでありたいと思います。比較によって自分を知るだけではなく、自分が自分を見て自分を知る、人の話しを聴きながら「あなたは言いたいことは○○ですか?」「私は、○○と感じました。」というやり取りを通して、人を知って、自分を知ったりすることが大事です。この言葉のやりとりを強化するのは、コミュニケーション論や人間関係論だけでなく「精神看護学」なのです。なぜなら、健全性を維持し、予防的、治療的コミュニケーションだからです。
私は電車に乗って座ることができたら、座席の背もたれに背中をつけない、足底は床にきちんとつける、膝と踝が引っ付いている、背筋が伸びていることを意識して座っています。時々、腹筋に力を入れたり、肛門に力を入れたり、大腿四頭筋を収縮させたりしています。それは自分の身体に注目するためです。そうしないと、周りのにおい、雑音、窮屈さに自分のこころが持っていかれ、不快感となって感じ取り本来の自分を見失ってしまうのです。自分の身体とこころが一つになって、私として生活していくための健全性の維持なのです。
今後、もっと目まぐるしく変化していく時代を迎えます。その時でさえ、確実に自分をもって「ONE TEAM(笑)」になっていくことが求められます。今こそ、精神看護学の出番なのです。