カリキュラム改正でまずやること
カリキュラムを見直すとき、本当に客観的に自分の学校の存在は必要か?と問い直し、必要でないなら、必要になるためにどうしたらいいか、必要であれば、必要であり続けるためにどうしたらいいかを明らかにするといいと思います。「潰れるかも・・・」前提で話し合っても無駄ですからね( ;∀;)
そして、どこに向かうか(方向性・最上位目標などネーミングはいろいろ)を明らかにします。まずは、キーワードでいいです。「愛」「真」「実践家」「○○医療」「地域」みたいな感じです。これは、学校の使命、他校との差別化、将来の展望へとつながっていきます。絞り込んだほうが進めやすいです。
そのキーワードが統合された状態の人物が「卒業時の学生像」です。
見直しの一番、最上位目標とつながらないものは「切り捨てる」
いまある科目や教科外活動は、どこに向かうか(方向性・最上位目標など)の向かう道を切り開いていくために必要な道具(手段)になっていますか?
なっていないかも?と思えるものは、「切り捨てる」。「断捨離」するとき「そのものは、キラキラしていますか?」と問い、キラキラしていないのなら捨てるという法則があったようですが、そんな感じですね。「でも~、この科目がなかったら、国家試験やばくないですか?」とか、言う意見出てきますが「大丈夫。授業したからと言って、覚えてませんから!」笑笑
「自立」や「自律」、「主体性」というわりに、謎の集合時間(何の科目の何の単位に含まれているのか?わからないもの)があります。インテグリティが整っていないことになります。だから「切り捨てる」か、必要であれば、単位の枠(容器)に収納する。これだけ~
あとは文科省や厚労省から決められた単位数を確保する枠(容器)をつくればOK。
学生は一生、学生ではありません。インテグリティの整った学校で学び、卒業すれば「資格」をもって自分の道を切り開いていきます(^^)/そっちのほうが、基礎教育の「願い」です。
掛け合わせることによって何倍にも効果の出るもの
時間数や単位数が足りないかどうかは人それぞれ。看護専門学校や看護大学も、社会人入学生、ほかの仕事についていた人も入学してきます。スタートラインがそもそも違うのですから、同じ授業というのは限界があります。(ちょっとスピードが遅いなという人は、うちの個別塾に来てもらうということで・・・・連携をとるとか笑笑)
テレビを見るよりスマホを見るほうが長いのではないでしょうか。一家で同じ番組を見る時代でもないのだから、同じクラスで同じ授業を受ける時代でもないようです。興味も価値もそれを解釈するスピードも違い、その「違い」が学びになれば素敵ですね。「違い」の共有が「かけ算」です。
「違い」の幅が大きければ大きいほど、「へーーーーー」になると思います。教員は、「違い」があっても安全で安心な場を創る人です。