看護基礎教育のカリキュラム改正を先取り!その2

「将来を担う看護職員に求められる能力とは何か」というところから、カリキュラム改正ははじまります。

私は、実際に大阪府の保健師助産師看護師実習指導講習会で講義をしたり、演習に入ったりして、実習指導者さんの抱えている悩みは「コミュニケーション」がダントツです。

学生が、患者さんに話している言葉を聞いて「え?」となったり、報告や連絡を受ける際にコミュニケーションエラーが生じたりしているようです。とはいっても、学生のコミュニケーション能力が落ちただけではないように思います。今年は、特にスポーツ界のパワハラ、働き方改革にも裏付けられるような職場環境の問題が、あまりにも現象的に独り歩きしすぎて、「問題は問題」として、双方向的に伝えられなくなっているのではないかと感じるのです。

つまり、コミュニケーションは、学生だけが学ぶのではなく、もっと、オープンな交流会的な要素を含んだ場で、お互いが学ぶという機会をつくるほうがよいのではないかと考えます。これは、対象が患者さんであろうが、多職種であろうが同じことが言えます。

まずは、シンプルに対象者の健康状態と年齢の軸に分類し、難易度の低いほうから高いほうへと経験(実習)の機会を持つという考え方で、極力早い時期からはじめてはいかがでしょうか。「ここにも看護がある」というくらいのごく当たり前の日常から始めたいものです。臨床推論力を養うためのカリキュラムの改正には必要な考え方だと思っています。

小学校から高校までプログラミングやプレゼンテーションのような授業をしてきているのにもかかわらず、看護学校に入って、急に思考力が低下したり、コミュニケーション力が低下したりしない、というのが私の推論です。もちろん、複雑な状況下でのコミュニケーションは求められるとは思いますが、能力を開花させる手段や方法は無限大にあると思います。ここは、カリキュラム改正の時の肝心要になるでしょう。

どんなに「これって倫理的にどうよ?」という場面に学生や新人看護師が遭遇しても、「言えない」のであれば「倫理観」が問われたりします。

高い倫理観の下で質の高い看護を提供できる看護師を育成したいのであれば、「話し合える場」を創ることではないかと思います。一方向ではなく倫理的葛藤の全体像をみる力とそれをどうにかしようとする働きかける力の両輪が動かなければ「今まで通り」。そしてあたかもその「今まで通り」が基礎教育の問題であるかのようにすり替わるのは納得がいきません。

どうすればもっと良くなるのか?先人の知恵は、Google先生でも教えてくれる時代です。様々な知恵を用いて試してみる、試行錯誤の過程にある「コミュニケーションを楽しむ」くらいのシフトが、カリキュラム改正に求められていると思います。つまり、看護の場と看護基礎教育の双方向的な「コミュニケーションの場」があって、カリキュラム改正の土俵ができると思います。

新カリキュラムに関する考え方は、いろいろ記事にしていますので、ほかにもご覧ください。

お気軽にご連絡ください。勉強会をしましょう!! info@kango-support.or.jp