患者さんのやりたいこと

スポーツ推薦で野球の名門高校に入学したAくんは17歳。甲子園を目指して、地方の高校の進学を決めた。しかし、肩や肘、腰の痛みのため、地元の大阪に戻ってきて入院することになった。まずは検査だ。そのあと、手術するのかしないのか、野球を続けるのか続けないのか、地方の高校に残るのか大阪に戻ってくるのか、Aくんは岐路に立たされることになる。

Aくんは5人きょうだいだった。幼いころから体格もよく、地元の少年野球ではエースだった。「あいつは、プロに行くよ」と言われ育った。父親も大の阪神ファンで野球好き。「息子が甲子園に出てくれたら、死んでもいい」という口癖。死んでもいいほどの期待をもろに食らったのが5人の子どもたちの中のAくんだった。他のきょうだいも運動は好きで、サッカーや陸上をしていたらしい。Aくんは兄や妹たちがスポーツする様子を「あんなに楽しそうにクラブとかしてみたい」と言ったことがあった。Aくんにとっては、野球も寮生活もつらいようだったが、一切つらいとは言わなかった。実際には言えなかった。

「Aくん、野球好き?」「わからん」・・・・・・そうか。わからなくなっているのか。

時々、好きにさせられているという現象をみることがある。本人も好きのつもりでやっているのだが、実は、野球が好きなのか、身体を動かすのが好きなのか、チームメイトとわいわい楽しく話をするのが好きなのか、親に褒められるのが好きなのか、咀嚼して分解して腹に落とし込めなくなり、「甲子園に行きたいです」みたいに、本人の言葉ではない言葉を言わされているパターンだ。べつに、親を責めるつもりはない。これらも大事な成長のプロセスだと思っている。

肩や肘、腰の痛みは、成長に伴う変化と、野球によって生じた身体への負荷である。それに伴い、ただでさえ、アンバランスな思春期の精神状態に負荷をかけることになる。しかし、負荷ととらえて看護するか、成長に必要な負荷ととらえて看護するかで、Aくんの身の置き場が変わってくる。自暴自棄になってもおかしくない。でもゆったりと好きな音楽を聴いて過ごすのもありなのだ。どっちが、Aくんの身体的、精神的な「健康」に役立つか、問うまでもない。

「Aくんは、何に興味があるの?」「野球ばっかりしてたから、他に何も知らん」うんうん。「野球ばっかりしてたんだねえ」「そやで、朝練して、昼休みも放課後も。」うんうん。

「一番好きな時間は何しているとき?」「・・・・・・・家族で、ご飯食べているとき」「家族でご飯食べているときか~。今、寮生活だから寂しいね。」Aくんは、何も言わずにうつむいてしまった。

「Aくん、私の失敗談、聴いてもらってもいい?」Aくんは、うつむいたままだったが私はしゃべり続けた。「私は、看護師なんだけど、看護師になりたくて看護師になったわけではなくて、何となく親が『手に職をつけろ』と言うからなったようなものでね、専門学校を卒業したんだけど、大学に行った方がいいのかなと思うようになって、通信教育で大学に行って卒業したんだけどね、何も変わっていない自分がいたんよ。学歴とか、肩書とかあってもね、私は、何も変わらなかったんよ、ってことが分かった。へへへへへ」Aくんは、「なんじゃそりゃ」と言う顔をした。「何が言いたいかさっぱりわからんし、興味ないし」みたいな顔、あからさますぎる。私は赤面した。

「みんな行ってるからとか、みんなやってるからとか、親に言われたからとかって、自分じゃない、ということがわかったんよ。」と付け加えてみたが、「はい、はい、」と言った感じだった。

私のたとえ話は、Aくんには刺さらなかった。話を変えて「家族で、楽しくご飯が食べられるといいね」と言うと、ちょっとイラっとした顔で「そんなことできるわけないやろ」と言った。「できへんの。」「できへんよ、野球できへんと意味がないねん」。うんうん。ストレートに言う方が刺さったらしい。

この情報は、主治医やチームと共有した。主治医は、両親と話し合う機会をつくった。父親は「あいつが、元気ならそれでええ。これから、草野球でも何でもええから野球が好きでいてくれたらええ。野球ができへんのやったら一緒に甲子園に行ってくれるだけでええ。俺と嫁とで、本人の気持ちを聴かんとあかんけど、俺は今の高校をやめて地元の高校に編入させてやりたい。家から通わせて、家族7人でまた一緒に飯食いたいわ。家族7人で一緒に飯食える時間なんてあと何年もない。みな、巣立っていくんやから。」と言った。お母さんは「そうね、」と頷きながら冷静な顔をしていたが、お父さんは、ガシガシと顔を洗うように涙を拭きながら話をした。主治医は「今後、体に負荷をかけないようにするのであればこのまま退院して、痛みについては様子をみていきましょう」と説明した。

Aくんは検査だけして退院することになった。退院の日、同室のお年寄りの人たちに「元気でな~」と見送られていたが、見送るお年寄りの方が重症だった。背の高いAくんは、別れ際まで私を見下ろして「児玉さん、何言うてるかわからんかったわ~」と首をかしげながらとどめを刺された。私は、Aくんの一番痛いところを飛び蹴りしたいほど恥ずかしかった。

Aくんは地元の高校に通うことになった。そして理学療法士を目指すことになったらしい。家族7人でおいしいご飯を食べたのだろうと思った。

「意味がない」と言う言葉をよく耳にする。「存在価値がない」という言葉の置き換えのように使っている。しかし、人生における「意味」とはもっと深い。Aくんは、ある方向性に「向かいたい」ということを身体で表現をした。それを私たちやご家族との関係性において現実化したという過程や構造が「意味」なのだ。こんなことをAくんに言うと「児玉さん、何言うてるかわからん」と言われると思う。

Aくんは、Aくんとしての望みをかなえたことを「誇り」にすることができる。野球をあきらめたのでも投げだしたのでもない。「家族でご飯を食べたい」を現実化したことが素晴らしかったのだ。

私は「自分じゃないこと」を延々とやって、本当にやりたいことが何なのかわからなくなったうえに、何も現実化していないかのように感じて焦っていただけの人だった。今となれば意味のあるプロセスではあった。Aくんのケアを通して、自分の経験を客観視できた。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。