早く生まれすぎて・・・・

卒業生のAさんから電話があった。

「赤ちゃんが亡くなりました」と。26週ほどで生まれてきて、しばらくNICU(Neonatal Intensive Care Unit 新生児集中治療室)に入っていると聞いていた。私は、言葉を失った状態で何か返答したと思う。特に意味もないことを言っていた。

妊娠24~25週での早産の赤ちゃんの生存率は、86.5%と言われている。現代の医療では、出生時体重が700g以上あると約90%以上の生存率になる。ただ、出産後は長期間NICUでの治療が必要となる。ちなみに、妊娠30~31週での早産の赤ちゃんが助かる確率は97%以上であり、ほとんどの赤ちゃんが無事に退院することができる。ただし赤ちゃんが自力で呼吸できるようになるのは妊娠34週。それまでは人工呼吸器の助けが必要な状態である。いずれにしても早産の場合、出産後はNICUでの治療が必要となる。

私は、Aさんの赤ちゃんのお葬式には行かなかったが、Aさんのおうちを訪問した。私が仕事に行くまでの朝の時間に、同じく同級生だった卒業生の車に乗せてもらって連れて行ってもらった。「朝夕がちょうど冷え込むよね~」と言いながら、上着を片手に車に乗り込んだことを覚えている。

新婚さんが住んでいるアパートの1室に、座布団にかわいいバスタオルを敷いた簡易ベビーベッドに寝かされた赤ちゃんは、小さい小さい赤ちゃんだった。静かな赤ちゃんだった。あまりに早く生まれてきたので、ベビーベッドが間に合わなかったのかな・・・・

赤ちゃんに出会うまでは、一緒に行ってくれた卒業生と私の気持ちが重たかった。車の中の空気も重たく、特に話をする気分ではなかった。しかし、赤ちゃんに会うとやっぱりかわいくて、二人でかわるがわる抱っこした。会えてよかったと思った。生まれてきた証を抱きしめることができてよかったと思った。なんとなく話しかけてみた。冷たい赤ちゃんは、人形ではなく命尽きるまで精いっぱい生き抜いたんだなと思うと泣いてしまった。

抱っこすると案外重く感じた。いや、やっぱり軽かったのかもしれない。1kgと言う感覚がどれくらいのものなのかよくわからなくなっていた。

Aさんもご主人も泣いていなかった。だからと言って晴れ晴れもしていなかった。NICUの期間が長く、危機的な状態が続いていたために少しずつ受け入れていっていたのか、気丈にふるまっているのか・・・・・泣き尽くしたのか、泣きくたびれたのか、私は確認もしなかった。

みかん箱のような大きさの棺だった。若い夫婦と、赤ちゃん。色とりどりの花がたくさん。どれも小さく咲いているものばかり。

NICUに入っている間に、看護師さんたちが書いてくれた手作りの写真付き日記のアルバム。ちょうど生まれて1か月分の日記。毎日、毎日、赤ちゃん目線で、ママとパパにメッセージが書いてあった。NICUの看護師さんは、赤ちゃんの代弁者になっていた。「ありがとう!」「楽ちんだよ!」「楽しいよ!」「あったかいよ!」「うれしいよ!」「ラッキー!」と言う言葉が目に飛び込んできた。アンパンマンやディズニーのキャラクター、ポケモンなどがデコレーションされている。愛してくれていたと思った。嬉しかった。

みかん箱のような大きさの棺には、Aさんやご主人、また二人のご両親、友だちのメッセージが書かれていた。私も書いた。実際に、何と書いたか覚えているような、覚えていないような感じだった。

今すでに、生まれ変わっているような気がした。もしかしたら、出会っているかもしれないと思っている。

帰りの車の中は、私はいつになく饒舌にしゃべった。そしてそのまま、何もかも映画を見てきたかのような記憶としてとどめ仕事をした。

  • 参考文献:厚生労働省  低体重児保健指導マニュアル

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。