幼児教育の分野で

今年は、コロナの状態を見ながらキャンプナースの活動も行い、またキャンプナースを育成する試みも開始できそうだ。

そんな中で、看護専門学校の小児看護学実習の応援に行く機会があって、小児病棟やこども園2か所に行った。こども園では、看護学生は園児からは大人気だった。「お兄ちゃん先生」とか「お姉ちゃん先生」と呼ばれていた。この文脈からいけば、私は「おばちゃん先生」と呼ばれる羽目になっているところだった。子どもたちの元気のいい声がこだまする園庭を眺めながら、幼児教育の仕事も大変だな~と思っていた。何と言っても、子どもたちは元気だ。よく動く。「話を聴いて!」攻撃がすごい(これは私も同じだ)。しかも、同じ3歳児クラスでも発達、成長が個性的だ。

さっそく、ある子どもがお兄ちゃん先生のくつを履いて走ろうとしている。お兄ちゃん先生は、「お、似合うねえ。大きいねえ」と声をかけている。うまい声のかけ方だ。私なら、「そんな大きな靴を履いたら転んじゃうよ」と間違いなく言う。そして転んだら「もう~」と言ってのけ反る。私のケースは一番ダメなコミュニケーションだ。

子どもは、お兄ちゃん先生の大きな靴が、ガリバー旅行記の靴ほど大きく見えたのかもしれない。履いてみたくなったのかもしれない。ダメなこととは知りつつも好奇心があったのだ。お兄ちゃん先生は、「履いてみたらどんな感じだった?」と子どもに聴いていた。子どもは「あったかかった」と答えていた。日向に置いていたからか、さっきまでお兄ちゃん先生が履いていたので、足底の汗がしみ込んで生暖かいのか。いずれにしても私なら「温かい人の靴は絶対履かない」と思った。しかし、子どもは満足げに「パパの靴は、もっと大きいで!あのな~ほんでな~もっと、重たいねん。」「へ~。パパの靴は何色?」「くろ」「へえ~、かっこいいね~」「うん。かっこいいねん。お兄ちゃん先生の靴もカッコイイで~」と笑った。「ママの靴はな、斜めになっているから履きにくいねん」「へえ、斜めになってるの!」と話は続いていた。子どもは満足したのか、その靴を脱いで、自分の靴に履き替えて園庭に走っていった。もうどの子どもかわからないほどに子どもの群れの中に溶け込んでいった。パパの靴やママの靴と比べてみたのか、子どもの好奇心なんて、聞いてみないとわからないものだと思った。

大人の尺度で、「大きな靴を履くと転ぶ」は何を押し付けているのか。つくづく反省させられた。

病棟でもある。「スリッパをはくと転ぶから、おうちから踵のある靴を持ってきてください」と言う話。私も何度か言ったことがある。患者さんやご家族が、スリッパを持ってきた理由を聴くぐらいはいいのかもしれないなと思った。「なるほど、そんな理由があったのか!」に出合うかもしれない。それは、まぎれもなくその人たちの物語なんだ。大事にしたいと思った。

同時期、興味深い仕事が舞い込んできた。短期大学の幼児教育学科の「子どもの健康」と言う科目をこの9月から講義する仕事だ。シラバスを拝見すると、私がキャンプナースの資格を取ってもらうために準備している冊子と同じような内容だった。

確かに、お子さんの集団生活で健康と安全を守ることは、キャンプナースの目的と同じである。有難く、幼児教育学科のお仕事をさせていただくことになった。

ワクワクが止まらない。また、こうして学生から学び合うことができると思う。嬉しい。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。