自分のまま

私は友達と二人で、昨日、恐山に行った。友達と私のスケジュールを合わせると9月は3日と4日の二日しか休みが合わなかった。恐山は、私が行きたかったところ。友達は私に付き合ってくれた。伊丹空港から青森空港へ、そしてレンタカーを借りて下北半島で一泊。朝から恐山に登った。

青森まで行くのなら、もっとゆっくり行ったらいいのにと言われたが、そうやって先送りをしてできることなど何もない。たとえ一泊二日でも行けるときに行く。それが大事だ。かつて岩手県を日帰りした経験もあった。

私は、この看護師日記を書きながら、いろいろな死をみてきたということに改めて気づいた。そして、日本三大霊山といわれる恐山に行きたいと思うようになった。ちなみに日本三大霊山は、比叡山、高野山、恐山。比叡山と高野山は、関西にあるので何度か行ったことがある。

外輪山に囲まれ恐山菩提寺があり、三途の川にかけられた太鼓橋を渡って霊域に入る(現在工事中だった)。すぐに硫黄のにおいが鼻に飛び込んできて、修学旅行で行った別府温泉を思い出した。美しい極楽浜、硫黄臭にまみれた地獄谷、無間地獄、血の池地獄。白い河原には亡くなった幼い子を思い両親が積んだ石や、風車が風に吹かれカタカタとまわる。火山性のガスのせいだろうか、頭が痛くなってきたが、気分は爽快だった。大自然がつくりだした地形に価値を見出してきた歴史の中にただただポツンと立っているだけで、十分だった。来てよかった。

私は、「行きたい」と思うところに、行くことができている。見たいと思っていた光景が目の前にある。写真で見ていた光景の中に私がいる。嬉しい。感謝。

私は、「なりたい」と思うものに今からなることができる。「生きたい」という生き方で生きていけばいい。自分は自分のままでいい。

たくさんの命に向き合ってきた私は、たくさんの命に振り回されてきたのかもしれない。何をしていけばいいのかを見失ってきたかもしれない。これからもぐらつくかもしれない。両足を肩幅に合わせて、立つだけなのにぐらつくかもしれない。その時は、ぐらついているのがわからないぐらいに、あえて、身体をぐらぐらと存分に動かして真直ぐに静止してみようと思う。自分の体に自分をうまく入っていけるようにする。これが私が私に戻る対処方法だ。

これから何があっても、恐れることはないと感じた。

今日からまた日常生活が始まる。しかし、いつもと同じではない。「行きたい」と思うところに一歩一歩向かっている一日なのだ。