私の仕事はいくらの価値があるか

私は、看護師や看護教員をしていたころ、所属していた組織からお給料をもらっていた。

結婚をして引越しをした後の再就職、育児中に阪神淡路大震災にあって引越しをした後の再就職、父を介護して看取った後の再就職も資格があることで救われた。いつも、所属している組織からお給料をもらって、税金や社会保険料などひかれても、主人と二人で働いて、息子を一人育てることは、経済的に問題ではなかった。親を介護していたときも、年休をもらったりすることができた。

その期間はそれでよかったのだと思う。今思えば、本当にありがたいことだったと思う。

50歳になって起業して、まずお金の計算ができなかった。請求書の書き方がわからなかった。私にいくら払うか、交渉することも困難だった。

でも、5年目を迎え、依頼がある分、自分の存在に必要があるのだと思えるようになった。大切に、また、相手の必要とされていることをできるように努めようと思っている。それはそれで「やりがい」を感じる。反面、必要なくなればストップされるだけである。

看護師をしていたころ、ナースコールで呼ばれても、私は必要とされている、それが信頼となり給料になるという感覚ではなかった。そこに喜びとして実感もなかった。それが悪いと思っていない。ただ、労働とお金と言うものを分かっていなかった。にもかかわらず、看護師をしていて生活に困窮することがなかった。なので、たびたび時代にそぐわないことも起こってくる。

今の私は、時代にそぐわなかったり、相手のニーズに合わなかったら一発アウトだ。

この洗髪にいくら払えるか?

頸部の手術をした後の初めてのシャンプー、ずっと寝たままの患者さんに訪問看護師が行うシャンプー、自分でできるかな?見守りが必要な自閉症の子どものシャンプー、値段が一緒なわけがない。どれが高いか、安いかもわからない。

ただ、価値のあるものに変えていく必要はある。看護師のシャンプーが、「1回1万円です」。「ただし、頸部の手術を行った後の安静を保ち、痛みを最小限にします。そのうえ、そう快感を与えることができます。」と、値段交渉する看護師。考えただけでも緊張するけど、その緊張感が大事じゃないかと思う。

私は、流れ作業のようにシャンプーしてた頃があった。「腰痛いな~」とか不満を言ったりして。懺悔。

看護の仕事に値段をつけて、きちんと自分で売ることのできる仕事であるとしたら、患者さんにいくら請求する?患者さんは、満足して喜んでお金を払ってくれるだろうか。

それは、シンプルに信頼の交換なのだと思う。信頼関係を数値化したものにすぎない。

ただ、患者側もお金を払うことに慣れていないという日本の医療・福祉文化がある。その分、自分でできることは自分でする、予防できることは予防するというメリットもあるかもしれない。