ここじゃない!
Aさん、80歳代の男性、診断名は書ききれないほどある。今回の入院は、腎不全だ。とはいえ、人間の体は、腎臓だけ治療すればOkと言うものではなく、あちこちに影響するから厄介だ。特に高齢者の場合は、抵抗力や免疫力も低下しているので、腎臓の調子の悪さがどこの臓器や身体機能、精神機能に飛び火するかわからない。
Aさんの話によると、「『歯車』がな、うまく回らん時は何やってもあかんな~」と言っていた。この入院の前に奥さんを看取ったらしい。Aさんは、歯車のうまく回っていない時期にいると認識している。「うまく回らん時は、どうすればいいですか?」「なんもせんこっちゃな~」「へ~!」と私が意外そうなリアクションをとると「ふふ、あんたもわかってるやろ、うまいこと行かん時はなんとかしようと思えば思うほど、アリジゴクよ」。まあそうかもしれないが、腎不全については、そんな呑気なことを言ってられない。と言うか、人工透析ですね、と言う時期だ。
「人生、山あり谷あり、と言うけど、ほんとのところは分からんで。順調やなと思うときは何やっても順調なわけで、それなら順調を維持したらええのかなと思って、維持し始めたら、水位が勝手に上がっとる。おかげで、谷になってるねん。」「ほっほー」「ってことは、順調な時こそ、がー------って悪あがきしておかんと、勝手に水没よ」「なるほど」ものすごく興味もあるし、いいお話だ、でも、それよりも人工透析は、よ。と話を前に進めたいが、のらりくらりとAさんのペースに巻き込まれる。ずいぶん、重要な人生の選択の岐路に立たされていると思うんですけど。
「じゃあ、人生の谷の時は何もしなかったら、勝手に水が引いていって、山になってるときがあるってことですか?」「そんなにうまいこといくかいな、」「いかんのかいな、あれ?じゃあ、どうします」「どうもこうもない、積極的にあきらめる、逃げる、放棄する、無視する、とか。」「え~、入院してきて、それはないですよ」「せや」といって、バックに入ったままの荷物を椅子に置いたまま、放置している。パジャマにも着替えず、入院した服のままだ。まさか、このまま帰ると言い出すのではあるまいか。
「Aさん?」「ん?」「入院しますか?」「しません、へへへへ」「へへ、ファイナルアンサー」「しません!」
主治医に連絡を取った。長いこと話をしていたが、結局帰ることになった。長年過ごした家がいいらしい。多少寿命が短くなっても、線香の香りの中、奥さんの写真に向かって語り掛けている方がいいらしい。という体裁を整えて帰っていった。
訪問看護は受けてくれることになった。
Aさんは、一度もパジャマに着替えることなく退院していった。退院する前、私の肩に手をまわして「ありがとう、見逃してくれて。」と言った。お礼を言われると微妙な気分になる。主治医や看護師長さんには、こっぴどく何があったか説明させられた。ひたすら、体裁を繰り返して説明した。
その時は、口が裂けても言えなかったが今なら言える。Aさんの気持ち、「ここじゃない」という直感に従っていた気持ち。年をとっても、素直であること、自信があること、若々しくあること、病気があっても生き生きしていること、自分らしい自己主張ができること、かっこよすぎる「おじいさん」だった。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。