徘徊している高齢者発見

道を歩いていると、明らか徘徊の高齢の女性に出会った。少し歩いては立ち止まってうろうろしている感じと荷物を持っていない。杖や手押し車もない。両膝は変形していてO脚になっている。円背もある。膝の痛みや腰の痛み、足のしびれを考えると杖や手押し車なしであまり長く歩いてきたわけではないと推測。看護師探偵のようになっている。

私は、「奥さん、こんにちは」と声をかけてみた。声をかけてこられたので驚いていたが、「こんにちは」と挨拶し返してくれた。一生懸命歩いてきたのだろう、立ち止まると、一気にいろいろわからなくなってきたようだ。きょそきょそ感が激しい。「私、今からお義母さんのおうちに行くんですけど、奥さんは?」「ん、私は家に帰るんだけどね、道がね・・・・工事してるから、△●#$%&◎▼、なんかこっちだと思たんだけど・・・・」、徘徊高齢者決定である。「この辺の道は、ややこしいですね」と言いながら、あと20メートル歩けば交番があるから、そこまで行ってみよう。「一緒に行きませんか?」「そうやねえ、でもね~△●#$%&◎▼、悪いわね~」「足、痛くないですか?」「うん、いつも痛いけどな、歩かんとボケるからね~」と言って笑った。その通り。ここまで会話が成立して、歩いていることが素晴らしい。身なりも整っている。ちゃんと介護してくれている人がいるようだ。

なんとか、会話を弾ませながら交番までたどり着いた。「道を聞いてみましょうか」「そうやねえ」と言って、交番に入っていくとお巡りさんが、「あ、○○さん、こんにちは!」と挨拶してくれた。常連さんだった。「○○さん、こちらにどうぞ、」と言って椅子に座ってもらっていた。○○さんは、まだ状況をつかめていない様子だったが、ちょこんと椅子に座っていた。お巡りさんは、私にお礼を言って、私に帰っていいですよという合図をした。私も○○さんに手を振って交番を出た。

お巡りさんも、認知症で徘徊をしている高齢者への対応をよく勉強していると思った。しっかりとしゃがんで、帽子をとって、目を合わせて優しくお話していた。その姿に、私の心の中は拍手喝采だった。「ブラボ―――――――」だった。

しかし、私は、あの後のことが気になった。家族の方がお迎えに来たのか。お巡りさんがおうちに家まで送っていくのか?何か、そんなマニュアルがあるのか?お巡りさんの福祉的業務が急増するのではないか?疑問が尽きない。私も隣に座って、お巡りさんにインタビューしたいほどだった。認知症の人が行方不明となり、家族などが警察に捜索願を出すケースは、2019年に全国で1万7479件。一日あたり47件以上に達している。

だから、私は徘徊している高齢者の方によく遭遇するのではない。私は、徘徊している高齢者と普通に道を歩いている高齢者と鑑別がつくから遭遇するのだ。これは、別段私に限ったことではなく、介護職をしている人やおうちに認知症の高齢者の方がいる方々ならわかることだ。

うちの息子がまだ幼稚園だったころ、主人が新しい車を買ったので、ドライブに行った。息子は、うちの車と同じ車種の車をことごとく発見した。「この車に乗っている人多いね」と言った。多いかどうかはわからないが、意識しているかどうか、鑑別できるかどうかだけだ。これと同じことだ。

認知症の問題だけではない。発達障害やパニック障害など、外見上ではわからない障害はいくらでもある。障害だけではない。私は「癌の末期です。」と言う人が自宅療養しているケースもある。人それぞれわからないのだ。何を抱えて生きているか。でもそのことがすごく気になる人には、分かるかもしれない。

さらに逆に言えば、何を夢みて生きているかもわからないのだ。看護学校に通っている、看護師をしている、だから「やりたいことなのか」と言われたら、なりたい職業かもしれないが、やりたいことではないかもしれないのだ。やりたいことと職種は違う。職種の中でも、これは好き!これは得意!これはやりたい!を仕事の中から見出していくことは大事だ。

好きなこと、得意なこと、やりたいこと、職種を鑑別しておくといいかも。まずは、鑑別する目があれば、徘徊している高齢者に遭遇する確率が上がる。ターゲティング広告みたいなものだ。

これは、たった一人ではできない。双方向で気づき合う関係が必要だったりする。親子や夫婦とは限らない。通りすがりの人や道端の広告かもしれない。「あっ」と言う感覚と、行動に移す速さは大事だ。

つまり、私の好きなこと、得意なこと、やりたいことを自分自身で把握するだけで、そんな事柄に出合う確率が上がるのだ。このアンテナさえ立てておけばOKだと思う。自分の人生を振り返ってみると、そんなことばかりだった。