想像外の世界

60歳代の男性の患者さんAさんは、脳内出血で左半分の運動麻痺と知覚異常が残った。また、両眼ともに左半分の視野が見えない状態(左同名性半盲)を伴っていた。これは、左半分の視野が見えないので、患者さん自身が左側に意識がむかないという症状である。

この患者さんは、不動産関係の仕事をしていて定年を迎えたが、そこそこ元気だったしやる気もあったので再雇用をしたようだ。タバコもお酒も好きだった。入院して、生活環境が変わり、脳内出血の後遺症とリハビリに励む日々を送っているが、あちこちに病気が発見された。今まで、おとなしく眠っていたものが、病気をきっかけに起き始めたような感じだ。あるいは、病気をきっかけにバランスを崩したような感じか。

こうなると気分も落ち込む。日が過ぎるごとに追い打ちをかけられるように現実を突きつけられる。

そこに、やれリハビリだ、やれ塩分制限だ、禁煙だ、禁酒だと言われても、耳に入ってくるわけがない。仕事をしつつも没頭できる趣味や生きがいを持っていれば別だが、やや健康になったからと言って、別に何をやりたいわけでもない、「仕事の変わりはいるから、休んでいいいよ」という状態ならなおのこと、病気が病気を生みそうになる。「仕事の変わりはいるから、休んでいいいよ」は励ましでも何でもない。「辞めてもいい」と言われているようなものだ。自己存在価値が揺らぎ始める。

まず、Aさんが90歳まで生きることを考えたとして、あと30年ある。一番下の子どもがまだ大学生で、さらに長女の結婚の資金についても悩んでいた。奥さんはパートタイムで働いており、両家の親の介護とAさんの介護は、病気が飛び火して病気になりそうな構図である。

胃が痛くなって、自分の体の胃の存在に気づくようなもので、病気になってみて健康のありがたさに気づく。また、家族の在り方にも向き合わなければならない。もちろん経済面にも向き合うことになる。

とはいえ、そんなときほどチャンスでもある。自分にとって一番大事なもの、一番大事にしてきたものを見直すチャンスだ。一番大事だと思ってきたものも時代とともに色あせて、キラキラしていないこともある。子どもだと思っていた子どもが一番しっかり動き出していることもある。家族だからと言って一緒に住まなくてもよい。社会資源を活用してもよい。新しいものを生み出してもよい。

「左同名性半盲の生活」というYouTubeがバズるかもしれない。わからないのだ。何が起こるか・・・・。チャンスはいっぱいある。「これはダメだ」というものの方が価値があることもある。

看護師は患者さんの健康回復を支援することが大事であるのは言うまでもない。くわえて病気が病気を生み出したり、家族の一員の病気のために家族中に火の粉が降り注いだりしていないか配慮することも大事だ。

病気や障害があったとしても、誰にでも生き方のV字回復をするチャンスがあると信じることは重要だ。私のような凡人の頭では到底考えもつかないことが起こることがある。思いつかないことだから、想像しがたいかもしれないが、想像外の世界があることを知っておくこと、それを受け入れる準備をしておくことはもっと大事だ。

想像している世界の中で動かそうとするから、今まで通りなのだ。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。