決意表明

彼女からの電話の着信があったので、車を運転していたAさんは急いで携帯電話をとろうとした。これが、Aさんの交通事故の原因だった。Aさんは、頸椎脱臼骨折、腰椎脱臼骨折と診断された。上肢は不全麻痺の状態で、肩や肘を動かすこと、手首の背屈 指を伸ばすことがかろうじてできた。腰椎脱臼骨折によって両方の下肢は完全麻痺の状態となった。

ベッドから車いすへの乗り移りは介助が必要で、麻痺した足を触ったり、動かしたりすると、自分の意志とは関係なく痙攣を起こすことがある。これは痙性(けいせい)といわれ、Aさんは「あ、もう!!」といいながら、自分の体に突然おこる痙攣に苛立っていた。

Aさんは、病院で30歳の誕生日を迎えた。彼女とは、遠距離恋愛で結婚の約束もしていた。入院中、何度か面会に来ていた。ほっちゃりとした5歳ほど年上の彼女だった。彼女は、バツ1で3人の子どもがいた。Aさんの面会に来るときは、子どもたちをお母さんに預けて、車で何時間もかけてきてくれていると話していた。いつも子どもの運動会のような茶色いお弁当(コロッケ・から揚げ・鳥の照り焼き)を作ってきてくれていた。Aさんは、食事をするとき車椅子に移動する。しかし、腹筋や背筋など体を支える筋肉が麻痺しているため、だんだんと傾いてくる。彼女は、傾いているAさんの体を片手でグイっと押し返しながら一緒に食事をしていた。

彼女が帰った後、Aさんは自分の身体を投げ出すようにベッドに横になっていた。完全に思考と身体が分離していた。私は「導尿の時間です」といってAさんの方を見た。冴えない顔をしていた。「どうかしましたか」と訊くと「児玉さんやったら、俺と別れる?」。なんという答えにくい質問をしてくるのか。ここで真剣に悩んで間をあけてはいけない。私の考えなど求めていないのだから。「え、そんな深刻な話を彼女としてたんですか?」と質問返しだ。「せや、」「あいつの電話をとろうとして事故にあってるからな~責任感じるんやて」。うんうん。「でもな~、あの時、俺、ものすごく電話待ってたんよ。連絡するのはいつも俺からばっかりで。ホンマに好かれてるんかって疑うようになってきて。あいつから電話かかってくるまで連絡せんって決めてたんよ。運転中やったけど、電話があって舞い上がってしもたんよ。待たれへんかった、はよ、電話したかってん。2,3日声聞いてなかったから。」うんうんとうなづいているものの、なんとも切なそうに話をする。彼は塗装関係の仕事をしていて、丸刈りにしていた。眉毛も細く手入れをしている。町の中で会ったら怖そうなお兄さんだ。でも、今のAさんは恋の駆け引きをしている中学生の男子の顔をしている。まだ話を続けた。「児玉さん、あいつが帰り際に手紙を引き出しに入れていったんよ」「え?いいじゃないですか!」「ええことあるか!児玉さんって、くそポジティブやな!」と怒られ、確かにと反省した。「手紙の封を開けましょうか」「うん」といって、私の顔色を見た。私は引き出しから手紙を取り出した。白い便せんに入った分厚い手紙だった。「あのな、児玉さんが先に読んでくれへんかな?」「え~!!」「でな、俺が読んでも死にたくない内容なら、読ませてほしい。」「死にたい内容だったら?」「読まん」。もしも死にたくなる内容だったら、「死にたくなる内容なので読まないほうがいいですよ」と言えばいいのか?私は、導尿セットを手に持ったまま、もじもじしていると「はよ、読んでくれ!」とまた怒られた。「読みますよ。」と確認をとったうえで、人のラブレターか何かわからない手紙を先に読むという役目を担うことになった。

書いている内容は、このまま一緒に生きていきたいという内容だった。ただ、子どもが3人いるので、介護と育児をどんなふうにしていったらいいのか、と言う悩みが綴られていた。

お弁当は茶色いが、便箋は真っ白だ。字はとても大きく整った字を書く彼女だった。一気に書き上げた感じがする。

「ちゃんと読んだ方がいいと思いますよ、彼女もすごく悩んでいるみたいです」と伝えて、手紙を渡した。寝たままだと腕が上がらず読めないので、いったん座ってから読むことになった。その間、私は席をはずした。導尿の時間が気になるが後回しにして、ほかの患者さんの用事をすることにした。

読み終わる頃に、Aさんの部屋に行った。目も鼻も真っ赤になっていた。「児玉さん、どうしよう」。見かけによらず、何でも人に聞いてくる。「死にたくならない内容だったでしょ?」「うん、一緒に生きていきたいって・・・・・」。あ、そこに感動して泣いているのか。私よりポジティブだ。私は、次の介護と育児の両立の悩みのところをフォーカスしていた。

私は「導尿しますね」といって、頭元のベッドを下げ導尿をした。私に尿道口から管を入れられている間も、ぼんやり天井を見上げて手紙を抱きしめていた。Aさんは、どんな将来を思い描いているのだろう。尿道口から管を抜いて、排尿の量を確認していると、「児玉さん、俺、やっぱり、あいつしかおらんわ」と言った。うんうんとうなづきながら、彼女やその子どもたちのことが気になった。そして、この導尿も自分でできるようになるかどうかも微妙だった。排便は一人では無理だった。いろいろ気になった。

その後、リハビリ病棟に転棟になった。リハビリ室に行くまでの長い廊下でひと際ノロノロ運転の車椅子で移動しているAさんに会うといつも声をかけていた。そして無情にも私はAさんの車椅子を追い抜いてスタスタ歩いていた。Aさんは、何人にも追い抜かれていく。追い抜いていく人の後ろ姿をどんな思いで見ていたのかと思う。

ある日の夕方、もうすべての外来診察室の電気が消えて、廊下が静かになっていた時間帯にAさんに会った。「児玉さん、俺な、病院変わるねん。」「そうですか、」「一人でできることもっと増やしていけるように頑張るわ」、お?何かが違うぞ!眉毛が生え散らかしたからか?ひげを伸ばし始めたからか?

「彼女とは、別々に暮らすねん」「ん?」「結婚はいつでもできる。子どもたちが大きくなってからでも遅くない」「なるほど」「一番下の子どもが、5歳やから、後15年くらいやな。15年くらい、あっという間やで」と言って笑った。2,3日電話がかかってこなかったことで動揺していた人の言葉とは思えない。明らかに、Aさんの身体の中にAさんの精神が宿っている。Aさんは、Aさんとして歩き始める決意表明をしてくれたように感じた。

あれから、15年は経過した。Aさんの言うとおり15年はあっという間だった。いろんな形のパートナーシップがある時代となった。スマホの普及もAさんの生活に影響しているだろう。Aさんは今、どんな暮らしをしているのだろう。

案外、新しい人を好きになって、ラインがスタンプだけだとか、既読スルーをするとか言って、恋に翻弄されているのではないかと思ったりする。人間の決意表明は、前言撤回という可能性を常に含んでいるからすべてOKなのだ。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。