「ほどほど」
私が看護教員をしていたころ、高齢者の施設でお買い物ツアーがあり、学生と一緒に参加させてもらった。認知症がある高齢者の方が値段や賞味期限を見ながら買い物を楽しんでいる。こんなふうにお買い物をしてきた方なのだなと思う。確かに買い物は楽しい。
精神科の実習でも「お買い物」の時間がある。好きな食べ物を勢いよくかごに入れていく患者さんもいれば、期間限定や新商品には目もくれず、いつもと同じものを黙々とかごに入れていく患者さんもいる。1円単位のお金まできちんと把握している人もいれば、レジでお金が足りなくなる人もいる。
最近は、お金の管理だけではなく、脂質異常や肥満、高血圧や血糖高めのことも考えて、お買い物をすることを支援している。そんなに厳しく「おやつGメン」みたいになるのも、患者さんの「楽しみ」に水を差しているようで、悩ましい。私にも言えるのだが、「ほどほどに」が難しいし、その「ほどほど」をチームで共有するのは最も注意が必要だ。
学生が受け持たせてもらってた40歳の統合失調症のAさんは、幻聴も妄想もあるが、そのことも自分自身で理解したうえで、学生と一緒にトランプやゲームを楽しくできる。いろんなおしゃべりもできる。学生が「Aさんは、入院じゃなくてグループホームとかで暮らせないですかねえ?」と質問してきた。私は「ほんとだねえ」答えた。
しかし、Aさんと一緒に買い物に行くと、かご一杯に同じ種類の炭酸飲料を入れている姿を見て学生はアタフタしていた。学生は「Aさん、今日は700円分のお買い物をする日ですよ」と声をかけていた。Aさんは計算が早いので炭酸飲料を棚にもどして、700円以内で買えるものだけを残した。もしも、Aさんがグループホームでの暮らしをするとしたら、スタッフや一緒に暮らす人たちに「このあたりをフォローお願いします」と言った感じなのだろうか。Aさんは、楽しそうに学生と買い物を終えて病棟に戻ってきた。さっそく、2本の炭酸飲料を飲みほした。「あれ?明日の分も飲んでしまいましたか?」と学生が問うと「明日は生きているかどうかわからない」と言い返されていた。間違っていない。学生もそのままだまって、分別ごみを捨てるところを見届けていた。Aさんは、勢いよく炭酸飲料を飲み干したので、大きなゲップをした。そして、二人で笑っていた。スタッフステーションのカウンターまで響く大きなゲップだったので、実は私も笑っていた。
病院の中と外では違う一面がみえる。学校の中と外、家庭の中と外で顔が違うのと同じだ。
今の時代、一歩病院の外に出ると、電車に乗るのもタクシーに乗るのも「ピッ」だ。もちろん買い物も「ピッ」だ。ひとたび、長期入院してしまうと「浦島太郎状態」になってしまう。作業療法や看護師のレクリエーションで、スマホの使い方を習って楽しんだ方が、SST(Social Skills Training 社会生活技能訓練)になるのではないかと感じるほどだ。しかし、リアルな人間関係を侮ってはいけない。スマホは人間と人間をつなぐ一つの道具に過ぎない。上手に付き合わなければ、スマホの奴隷になってしまう。リアルな人間関係の距離感のとりかたや程よく愛することのできる関係性は、スマホとの関係性と同じだ。対象が、お金でもアルコールでもギャンブルでも同じだ。
完璧な「ほどほど」な人はいない。そばに、関心を寄せたり、気を配ったり、ちょっと口出ししてみたり、必要なら手を差し伸べてくれたりするくらいの人がいてくれたらいい。私にも「そんな人物」が必要だ。私も誰かにとっての「そんな人物」になりたい。その人の持てる力を最大限に生かすためにも、自分の持てる力を存分に発揮するためにも、ほどほどの「そんな人物」と環境が必要だ。
たまたま精神科の実習の例をあげたが、精神科に限った話ではない。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。