ロボットにはできない看護技術
Aさんは、汚言症がある。卑劣な言葉や汚い言葉を連呼する。はじめて出会う人は驚くだろう。
想像してみてほしい。Aさんの汚言症のきっかけを。
1冊の小説ができるほどのAさんの人生がもたらしたAさんの表現方法だとしたら。
私に何ができるのか。
あれこれ考えたが・・・・・
温かく通り過ぎるのも看護だ、というところに着地した。「温かく見守る」でもいいのだが、明らかに社会の中では浮いてしまう言葉を温かく見守るのはおかしいのではないか、というシンプルな私の葛藤。
やっぱり、「温かく通り過ぎることもある」にしてみる。
正解とか、不正解とかはなく、お互いの四苦八苦の過程が看護であると思う。
レクレーションを楽しんでいるときの笑顔に励まされたり、梃子でも動かなくなる感情に振り回されたりしながら。
Aさんの表現を人生の語りとして、耳を澄ませて心で聴こうと思う。
Aさんの本当に言いたいことや思いが少し理解できたら、私もAさんも一瞬ほっこりできると思う。
これは、ロボットにはできない治療効果をあげる看護技術だと思う。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。