感覚を大切にする

手術をして、初めて歩くとき、

なんらかの病気になったあと、はじめて歩行が始まるとき、

痛み、苦痛、不安といった患者さんの感覚が大きければ大きいほど、歩くことさえ苦痛になる。

看護師は、患者さんの苦痛を和らげようとして、歩行訓練中に声かけをしてしまいそうになるが、とても危険な行為だと思う。

 

私の息子が車の運転免許を取りたての頃、助手席からペラペラと話かけた。当然、息子は無反応だ。

患者さんの状態と免許取り立てだったころの息子と同じにしてしまうのは、いささか恐縮するが・・・

いずれにしても、それほど感覚を研ぎ澄ましているのだ。

 

患者さんが、一歩一歩ご自身の感覚を確認しながら歩いているときは、黙って隣を歩く。

歩き終わってから、感想を聴く。

「歩いてみて、どんな感じでしたか?」

「やっぱり痛い」「ふらふらだ」「しんどい」「まだご飯もろくに食べていないのに」・・・ふんふん

 

「歩いてみて良かったと思うこところはありましたか?」

「歩けて良かった」「トイレまで行けそう」「ぼちぼちすればいいかな」・・・・ふんふん

 

いつも、患者さんの中にコタエがある。

 

コミュニケーションは大事だという。

黙っておく時間もコミュニケーションだ。

患者さんが体験した感覚を余すことなく言葉にしてもらうこともコミュニケーションだ。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように一部修正しています。