さるむき

夜勤の朝、私は下膳に回っていた。

患者さん(Aさん)が、みかんを残していた。というより、途方に暮れていた。

Aさんは、みかんをむくことができない。朝はとくに思うように指が動かない。

Aさん、60歳、女性、慢性関節リウマチだった。

 

「すみません。みかん、むきますね」

「ありがとう」

 

私がみかんをむき始めると、Aさんは大声で笑った。

「さるむきやね~看護師さん、和歌山?」

「はい。実家はみかん農家なんです」

「上手にむきはるわ」

みかんの皮をむいて、大笑いされることも、褒められることもなかったけれど嬉しかった。

ちなみに「さるむき」というのは、みかんを四等分に割ってからむくと言うむき方である。

みかんをサクッサクッと割ったとき、独特の酸味と香りが広がり、一瞬にして唾液が口の中であふれだす。Aさんは私の作業の一部始終を見ていて、口をすぼめて唾液があふれ落ちるのを食い止めていた。Aさんは大きな口を開けることも困難だったので、一房一房小分けにしてみかんの皮に並べた。

「みかんの白い筋もとりますか?」「とってください。」「本当は、この白い筋に栄養素が含まれているんですよ。」と講釈をたれたが、Aさんにとって白い筋や袋は飲み込みにくいだろう。Aさんは、私がむくやいなや口に入れて「すっぱ~」といっておいしそうに食べてくれた。

むきたてのみかんはおいしい。視覚、嗅覚、味覚を刺激し、唾液の分泌に貢献する。にもかかわらず、食べることのできないみかんが、いつまでも床頭台の上に残っているのは「看護ではない」ということを突き付けられた話だった。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように一部修正しています。