「ボールを思いっきり投げたい」
精神科閉鎖病棟に入院中の患者さんが、突然、看護学生に「思いっきりボールを投げたい」と言った。
私は、30年前に全く同じフレーズを聴いたことを思い出した。彼は難病の青年だった。
そいえば、二人とも20歳ほどだ。
「ボールを思いっきり投げたい」には、何か共通する意味があると思った。
たとえば、彼らにとって「ボール」は、不自由さ、不満、ストレス、歯がゆさ、煩わしさなどを意味しているのではないだろうか。
空高くボールを投げることができたら・・・と思いを巡らせ、窓の外を見上げているのではないだろうか。
ボールを思いきっり空高く投げた時、そのボールは、太陽の光を帯びて一瞬消えていく。
まぶしくてまぶしくて、ボールが落ちてきたときに見失うかもしれない。
その動作は、たった1回ではなく、無限ループに陥ったかのように何度も何度も繰り返すのだ。
もう見失わなくなった。太陽が沈みかけているからだ。心地よい汗は、夕方の涼しさと相まって充実感をもたらす。
そうか。彼らは、生きている充足感が欲しいのか。
30年たって、また彼らにとっての「ボール」が何なのかを探ることになった。
「ボール」でなくてもいい。「ボール」の本当の意味が分かれば、希望を叶えることができるはず。
私もまだまだ発展途中の看護師である。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように一部修正しています。