フィリピンからきている留学生さん4人。日本語学校に通いながら、看護補助のアルバイトを始めました。キュートな笑顔と日に日に上達していく日本語。指導するスタッフも初めは戸惑っていたようですが、すっかり「育て甲斐」を感じているようです。患者さんからも大人気!早速、「トイレにいっといれ~」と教えられていました(笑)。「じゃぱにーず ぎゃぐ」と言って大爆笑。
受け入れ病棟の看護師長さんと話をしていると、「時々、日本語を間違えますね。でも、彼女たちが間違えているわけではないんですよ。微妙なニュアンスって翻訳ソフトが変な変換してしまうんです。だから、ん?って思ったときは、もっと詳しく教えてって聞いていくと、なるほどそんな意味ね~ということがわかるんです。」とのこと。素晴らしい!なるほどなるほど。あるある。育てる側が成長している!
ここまで、聴く体制が整えられれば、言葉のハンデはもはや強みだ!
「狭いところで共同生活してもらっているの・・・」。かわいそうと思うのは私たちの感覚で、共同生活が当たり前の暮らしや文化もあるのです。ものがいっぱいあること、広いおうちに住んでいることが必ずしも幸福でないのと同じように「違い」なんです。
そもそも看護師は、 「Cultural Competence」が求められます。看護は、 あらゆる場であらゆる年代の個人および家族、集団、コミュニティを対象に、対象がどのような健康状態であっても実践されるものだからです。だから、ケアの受け手の特有の文化や身体的な特徴、言語の違いだけでなく、行動様式や死生観、宗教、感情の表現、政治、教育などへの配慮をしていくことは、いつも前提にあるのです。
仮説、 「Cultural Competence」の高い指導者の下では、外国人人材は素晴らしく育つ!したがって、外国人人材を受け入れる先の指導者の 「Cultural Competence」を高めればよいのだな。 Cultural Competency Trainingだな。