看護教育に異文化理解を取り入れた時、どんな授業をすればいいのか?

看護系大学の場合は、交換留学生の制度などを活かして交流を図ったり、国際ボランティアの体験をしたりしているようです。しかし、とてもタイトのカリキュラムになっている専門学校は、修学旅行で海外に行くことはあっても、「異文化理解」に至るまでの交流は困難感を抱えていると推測します。

いずれにしても、少しばかり海外に行っても、語学を学んでも「異文化理解」といえるのでしょうか。伝え合ったり、わかりあったり、時には対立したりしながら、何か同じミッションに向けて時間を共にして、協働するというプロセスが必要なのではないかと考えます。この点については、わざわざ異文化の人を対象にしなくても、お友達以外の人も異文化の人なので、「人間関係論演習」で十分ではないかと思っていました。

ただ、時代は、否が応でも異文化交流の場を持つことを求められています。そんな時、何でもかんでも「文化や価値観が違う」と吐き捨てるように対話の不成立を片付けてはいけないと思います。だから、言語の壁、文化や価値観の壁を乗り越えるというプロセスを授業内容に盛り込むことが重要なのではないかと考えます。これは、創造性のある看護実践能力が身につくことに通じる!といってしまえば大袈裟でしょうか。少なくとも、あの手のこの手を駆使する力は、身につきそうです。

異文化理解教育では、異文化の人とともに、演劇、スポーツやダンス、音楽や協働して創り上げる絵画などを体験して、リフレクションして、シェアしていく、さらに、次回はどうするかを考え行動する機会(日常において一般化する)があるという学び方が機能的だと思います。

今思えば、体育や芸術の科目というのは、本来、人間対人間の対話的プロセスを育む教育として発展していくべきだったのかなと思います。