全くもって私の個人的な意見である
現代社会では情報が溢れ、私は日々その情報にさらされている。SNS、インターネットニュース、広告、メッセージアプリなど、情報は無限に流れ込み、常に受動的な状態でそれらを目にしている。しかも、インターネットのニュースは、私の職業や興味関心、閲覧履歴、検索履歴などからパーソナライズされた情報である。視野は狭くなるばかりである。
この受動的な情報消費は、私の内なる欲求を満たしているのだろうか。おそらく、多くの人が感じているであろう「何かが足りない」という感覚。その感覚の正体は、「没入」の欲求ではないか。
1. 没入の欲求とは何か
没入とは、ある特定の活動に深く集中し、時間を忘れるほどにその活動に没頭する状態である。この状態は、心理学者ミハイ・チクセントミハイによって「フロー体験」として知られている。フロー体験は、人間が最も創造的で、生産的で、幸福を感じる瞬間である。
私は日々膨大な量の情報を流し込まれ、その多くが受動的な消費に終始している。SNSやインターネットの情報は、私を「消費者」として扱い、受け身によって判断を求められている。結果として、私たちは深い満足感や充実感を得られず、次第に「何かに深く没頭したい」という欲求を感じている自分に気づく。つまり、「自分として生きたい」というシンプルなことだ。
2. 情報過多と受動的な生活の弊害
情報過多は、私の精神状態に大きな影響を与えている。いちいち反応してしまい、私は「今この瞬間」に集中することに困難感を抱くことさえある。メールやSNSの通知があるたびに、私の注意は、本来集中すべきことに対する注意力が分散される。
このような受動的な情報消費が続くと、私の脳は常に「浅いレベルの刺激」を求めている。これが続くと、精神的な疲労感や、何かを達成したという感覚が得られない。深く考えることや何かに没頭することを強く求めている。万年欲求不満を抱えているのだ。
3. 没入の欲求を満たすために必要な要素
私が没入の欲求を満たすためには、どのような要素が必要なのか?
1. 「何をしたいか」を決める。100個くらい書いたものからすぐにできるものからやってみる。
2. どんな結果が出るかわからないことにチャレンジする。練習したり継続したりすると、必ず少し上達できるようなものは小学生の頃の習い事である。没入の欲求を満たすためには、突拍子もないこと(まだ誰も経験したことのないようなこと)に手を付け、徹底的に試行錯誤することだと思っている。
3. 環境の整える。一人ではできないことがよい。手習いにならないことだ。触発し合う仲間がいる。
4. 時間の確保。
5. 継続しようと身構えない。継続は力なり、有言実行、努力や根性、一生懸命などの価値観を否定しないが、私の求める没入の欲求は、「それをやらずにはいられない」「明日、目が覚めたら、すぐにやりたい」と思えるようなものだ。反省、内省、リフレクションなど、言われなくても勝手にやっている。したがって、そのようなことが自ら発動しないものは速くやめてしまうことだ。
4. 私の没入欲求を満たすことによって得られるもの
1. 満足感と幸福感
没入状態では活動に完全に集中し、外部のストレスや雑念から解放される。この状態にあるとき、私は満足感と幸福感を感じることができる。自分として生きている感覚を得ることができる。
2. 高い生産性と効率
没入状態では、時間を忘れるほど集中しているため、通常よりも高い生産性と効率を発揮する。余計な中断が少ないため、短時間で多くの成果を上げることができる。たとえ、長時間かかっても不思議と疲労感はない。
3. 自分の軌跡はすべて伏線
没入状態で活動してきたことは、すべて私の軌跡であり伏線である。この先、回収し何かと関連したり、意味を持たせることになる可能性がある。
4. 創造性の向上
没入状態は創造性を引き出す。深く集中しているとき、アイデアが自然と浮かびやすくなり、革新的な解決策や新しい発想が生まれやすくなる。それが、お金になるかならないか考えなくてよい。お金の価値は、没入している側の価値の問題ではない。お金に換えたいという人の価値である。しかし、没入している時間には価値がある。その価値はいくらにでもなりうる。
5. ストレスの軽減
没入することで、日常の欲求不満が解消できる。健康の極みである。
6. 人間関係の深まり
没入状態で共通の目標に向かって協力し合うことで、他者とのつながりが深まる。チームでの共同作業やプロジェクトにおいて、没入体験を共有することで信頼関係が強まる。家族や仕事以外の居場所ができる。
結果
没入の欲求が満たされると、人生全体に対する充実感が増す。私の時間を没入できる活動に費やし、その結果を感じることで、日々の生活に対する満足度が高まる。没入の欲求を満たすことで得られる豊かな人生経験である。現代社会で没入感を意識的に追求することは、私の幸福感を高め、そして社会的なつながりを深めると確信している。
さて、私が没入できるものは何か、え!!これだけ書いてきて、そこかい!
そうだ。だから今日はこれを書いたのだ。模索しているのだ。今日は模索するということに没入した(笑)