SNS時代の「教育」について考えさせられた・・・・
相場英雄さんの『サドンデス』を読んで、何度も手を止め考えさせられる瞬間がありました。
この物語は、立て続けに発生する無差別殺人事件と、それを裏で操る富裕層の「ゲーム」が描かれています。しかし、この本が真に問いかけているのは、私たちが日常的に向き合っている社会の暗部――格差や貧困、SNSでの誹謗中傷といった現代の病です。
21歳の理子は、金銭的に厳しい環境で大学生活を送っていましたが、ある日、人生を変える人に出会います。その出会いをきっかけに、彼女はラウンジで働き始め、京都で「ママ」に抜擢されるまでに成長します。そして売り上げは順調そのもの。SNSに投稿される彼女の輝かしい成功に、多くの人々が称賛を送る一方で、その陰では彼女を妬むアンチも現れます。ブロックをしてもしてもアンチからのコメントに苦悩しつつも金銭的に厳しかった暮らしに戻りたくないという一心で、理子はさらに志を高くもち華やかさの中にいる自分を奮い立たせます。
小島もアンチの一人。彼は大手百貨店に就職し華やかな暮らしをしてきましたが、閑職に追いやられた後、仕組まれたように転落人生を送ります。みじめさは理子への嫉妬を次第に募らせ、その感情はやがて歪んだ殺意へと変わっていきます。
物語が進むにつれ、次第に無差別殺人事件がインターネット上で奇妙な形で結びついていることに気づく警視庁サイバー犯罪対策課の長峰と共に、この世界の奥深くに隠された闇に引き込まれていきます。そして、理子の運命がどのようにしてこの恐ろしいゲームに絡んでいくのか、その結末に向けて息を飲む展開が続きます。
この本を読んで、私は改めて「格差社会」とその影響について深く考えさせられました。私たちが生きる社会では、経済的な格差がますます広がり、それが教育や仕事、さらには人間関係にまで影響を及ぼしています。しかし、ここでいう「教育」とは、単に学歴や知識を指すものではありません。現代社会における「真の教育」とは、人生を歩む中で「善行」とは何かと言う判断がつくこと、想像性、他者の尊厳を踏みにじらない言葉や態度、判断力を養うことにあるのではないかと思いました。インターネットやAIの時代だからこそ、人間としての教育力が問われるのです。
理子のように、困難な状況から這い上がり、未来を切り開いていく姿は、多くの人々に希望を与える一方で、その成功が一部の人々にとっては嫉妬や憎悪の対象となり得る現実(炎上)を私たちは目の当たりにし、「目立たない」「挑戦しない」と言う選択をする人も見受けられます。
SNSでの成功や幸福の共有は、表面的には光り輝いて見えるかもしれませんが、その背後には、見えない苦しみや孤独、そして社会的な圧力が渦巻き、その中からも進みたい道を淡々と進んでいく人が、善い判断ができ、他者の尊厳を踏みにじらない行動をとることができるような自己教育力を身につけていくことが「教育」なのかもしれません。その「教育」は一生学び続けるものなのです。
この物語が私に対して問いかけてたこと(作者の意図とは無関係に)は、私自身の価値観や倫理観、そして「教育」の本質とは何かということでした。格差が生むのは、単なる物質的な違いではなく、心のあり方や人間としての生き方そのものに影響を与えます。ましてや教育格差と言うのは、学歴や偏差値、資格の有無ではありません。生きていく力、信頼関係を築いていく力、他者を思いやる力、「品格」のようなものなのかもしれません。品格のない富裕層は、この本にあるようなただただ刺激を求める「ゲーム」に没入するのかもしれません。
今一度、私は自分自身の「教育」について考え、他者との関わり方を見直すときに来ていると感じさせられました。
『サドンデス』は、私たちが直面する現実の問題を鋭く描き出し、読者に深い思索を促すメッセージ性の強い作品でした。