3人だけの秘密
精神看護学実習で、学生は老年期うつ病の患者さん(Aさん)を受け持たせてもらった。ほとんど会話が続かない。プロセスレコードの「患者さんの言動」の欄は、「うん」、「はい」、「・・・・・」が並んでいる。話が続かず、学生の苦戦している様子がわかる。
老年期のうつ病は、一般的なうつ病と少し違っていて、悲哀の訴えや気分の落ち込みがあまりよくわからず経過する。ただ、普段より、意欲や集中力の低下、認知機能の低下がみられることが多いので、認知症から疑われることもある。また、身体的な不調(不眠、食欲低下、痛みなど)を訴える場合が多いので、「歳だから仕方ない」みたいに聞き流されたり、受診する診療科を転々とするケースもある。さらに原因が一つと言うわけではなく、薬の副作用、脳血管性障害やパーキンソン病と併発していることもあるので要注意なのだ。
学生の受け持ち患者さんも、仮面様の顔貌と意欲の低下が顕著だった。1回の食事もなかなか終わらなかった。給食が終わらないクラスメイトを思い出すほど、最後の最後まで食堂で食事をしていた。学生はつかず離れず見守り、ときどき声をかけていた。
ただ、散歩に行くときは、「行く」と同意されることが多かった。散歩に行くところは、四季折々の花や野菜が育てられている。Aさんが、車椅子に座ったままでも手を伸ばして、花々や野菜などを手で触れやすいように工夫され設置していた。
次の日は、雨だったので散歩はできなかった。しかし学生は、Aさんに塗り絵ができるように、一緒に見た光景をスケッチして持ってきていた。Aさんは、表情を変えずに黙々と塗り絵を始めた。学生も隣で一緒に塗り絵を楽しんでいた。完成するとみずみずしい赤々としたイチゴと白いイチゴの花が描かれる予定だ。作業療法士さんたちが管理している家庭菜園なので「とちおとめ」のような風格はないが、それがかえって親しみやすくかわいらしかった。食べるときっと酸っぱいだろうなと思った。
Aさんは、イチゴの花をピンク色に塗った。その横を通りがかった看護師長さんが、「そうそう、一つだけピンク色の花がありましたねえ」とAさんに声をかけていた。学生もAさんの作品をのぞき込みながら、忠実に再現されていることを嬉しそうに「ピンクでしたねえ」と言っていた。Aさんは少し、ほんの少し表情が変わったようだった。白い花の中に一つだけピンクの花があったことを覚えている看護師長さんと学生とAさん。私には、その3人を「3人だけの秘密」を持った親友のように見えた。しかも、昔から気心の知っている親友のように見えた。微笑ましくもありうらやましくもあった。
Aさんの短期記憶は保持されていることがわかった。うつ症状の回復過程にあることも分かった。
慢性的に経過している患者さんに対して「変化」は大事だ。患者さんにとって「変化」が大事なのはナイチンゲールも言っている。しかし、看護をする側にとっても、患者さんの意外な一面を発見できるのでとても効果的だと思った。そしてそれを分かち合える人がいること、つまり人との交流を絶やさないことは、老年期のうつ病にとって最も大事なことだと再確認した。
Aさんがもっとたくさんお話ができるようになったら、イチゴの思い出を語ってくれると思う。それとも、ガーデニングを楽しんでいたころの話だろうか。それとも、あの時、Aさんがほんの少し表情が変わったように思えたのは、私の甘い期待だったのだろうか。
だれにでも、いくつになっても、呆然と立ち尽くすときがある。その時、誰がというわけでもなく、何がというわけでもなく、背中を押される時がある。そんな瞬間に立ち会えるのも看護師と言う仕事である。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。