看護学生の気づき

看護学生の「気づき」にはいつもドキッとする。

もう、15年以上前になる。精神看護学実習で男子閉鎖病棟に学生の実習に引率した。その当時、その病棟は男性の慢性期病棟だった。

食事の時間、どの患者さんも楽しみにしている。看護師は、患者さんの食事を見守っている。配膳の管理もしていて、お味噌汁のおかわりもできる仕組みになっていた。慢性期なのでどの患者さんの好みも把握しているのだろう。患者さんがお椀を高く上げると、看護師さんがお味噌汁を入れる。私は、おかわりしているんだな~微笑ましく見ていた。

ある学生は、「お椀を上にあげただけで、お味噌汁が入るような世界はどこにもないですよね」と言った。力強い言葉だった。「社会復帰を遅らせてしまいます。」とも言った。私は精神科慢性期病棟の当たり前の光景が世の中の非常識であることに気づかされた。

つい先日も「患者さんのできる力を奪わない看護をしたい」という学生がいた。「日頃は車いすに座っているのに、お風呂の時だけ、お風呂用のストレッチャーに寝たまま入浴している」というエピソード付きだ。確かに。ただ浴室は転倒しやすいし、湯船につかろうと思えば、そのストレッチャーでの入浴がいいのでは?と言い返しそうになる自分がいる。

そもそも何をする人なのか?私。

「どんな方法だったら、お風呂に入れそう?」と訊くと、グループ内で入浴シミュレーションが始まった。「臨床指導者さんにA案、B案をプレゼンしてみよう!」「○○さん(学生)は、どっちを押しなの?」「○○さん(患者さん)は、どっちがお好み?」「安全?」などなど、聞いた方がいい場合もある。でも、学生がやってみてから、「ちょっと、時間かかりすぎました」という気づきがあって「金曜日は修正B案モデルでやります」自発性を引き出せる場合もある。

そこは、長年の勘に頼っては落とし穴にみすみす落ちにいくようなものだ。

今はまだ法則を、編み出していく過程にある。倒れても倒れても起き上がってくる起き上がりこぼし人形みたいなメンタルでその法則を編み出している途中だ。

学生から「学生のできる力を奪わない教育をしてほしい」と言われているように感じた。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。