生涯現役

先述したが、母は、身長が高く、手足の長く、彫りの深い顔をした女性だった。つまり、母はなぜか洋風だった。閉経後は、ふっくらとして洋ナシの体型だった。日本でも欧米型の変形性股関節症が増加しており、母も御多分に洩れず60歳くらいから両方の股関節が痛みはじめ、65歳ごろには、変形性股関節症のため人工関節置換の手術を勧められた。奇しくも祖母の受けた手術と同じである。

しかし、父が脳出血で倒れてから自宅で介護をしているため、「お父さんをおいて、入院するわけにはいかない」と言い張るのだ。あれだけ憎んでいた父を理由に、手術をしたくないとはどういうことか?

兄夫婦は、母が入院中「父の面倒を見る」と言っている。母が入院するのは大阪の病院なので私が「面倒を見る」し、主人の母も「毎日面会に行く」と張り切っている。もう、逃げ道はない。「さあ、ご決断を!」と言うところまで来ていたが、頑固一徹に首を縦に振らない。

そんな折、母の外来受診があった。母は、主治医に「手術したら、いろいろ制限があるんでしょ」と訊いたらしい。主治医は「んんん」と首をかしげながら「強いて言えば、海外旅行に行くとき飛行機に乗るでしょう、人工関節が入っているからピッコンピッコンとなるかもしれんな~」と言ったらしい。母は、生まれ育った町から出たことのない女性である。海外旅行など無縁なので、そんなことを言われてもピンともこないはず。しかし「そんな時、どうしたらいいですか」と訊いたらしい。すると主治医は「It is an operation!と言ったらいいですよ、難しかったらoperation!だけいってもいいよ」と教えてくれて、丁寧に発音まで習って来ていた。

そして、母は、空港の金属探知機を通るとき「operation!」と言いたいがために手術をすることに決めた。

父を残して、生まれ育った町としばらくの別れを告げ、大阪で手術をした。両方の股関節の手術をした。「案ずるより産むが易し」とは、この時に使う言葉だった。手術は無事に終わり、リハビリも順調だった。お義母さんも毎日、母の面会に行ってくれたので退屈とは無縁だった。父は、兄夫婦に介護され何の問題もなかった。また自立支援医療(更生医療)の適応だったので、母の想像以上安い治療費だった。「老眼でゼロが見えなくなったのかと思った」といって喜んでいた。

そして、父の介護の終了とともに、母の怒涛の海外旅行が始まった。

スイス、カナダ、シンガポール、韓国や台湾などなど。はじめのうちは、空港の金属探知機に反応をし「operation!」と言ったという土産話を聴かされた。最近は性能が良くなったらしく反応もしなくなったとぼやいていた。しかも、シニアの団体は、みんな夫婦で旅行していて「お父さんがいなくて寂しい」とまで言ってのけた。どの口が「父がいなくて寂しい」とのたまうのか。

だれにとっても手術をするというのは、人生のビッグイベントだ。自分のことの案ずることも多くある。家族の心配や、役割、経済的なこと、いろいろな心配や不安がある。迷ったときは「遠くを見る」。母の主治医は、本当に上手に母の思考のパラダイムシフトを支援してくれた。

現在、80歳(もしかして、82歳かもしれない)の母は、近所のみかん農家婦人クラブの長老者として君臨し、ランチ会や体操クラブ、書道クラブなど、地域の若い農家のお嫁さんからお年寄りまでこまごまと世話をやいているようだ。

私とは、最近、辻井伸之さんのピアノコンサートに行ったり、尾道に旅行に行ったりした。ビールをガブガブ飲んで、モリモリ食べる。この前も「あの時、手術しておいてよかった」と上唇に泡をつけて言っていた。私は「まあな~」としか言いようがない。

確かに60歳代の手術は、母のQOLを向上させたことには違いはない。

しかし、母が元気なのでは「やるだけのことはやってきた」と言う自信と「これからもやっていく」と言う生きがいがあるからだと思っている。私は、兄夫婦や地域住民、みかん農家という生涯現役の仕事があることに、心から感謝している。

私は、この母と亡き父に振り回され続けた過去を愛おしく思える。