「二度と戻らない」を知る
ひいおばあちゃんは、私が小学校1年生の時、老衰で死にました。真冬の静かな朝を迎えようとしていたころでした。
自宅のいつもの寝室で、眠るように息を引き取りました。痛みもなく、苦しむこともありませんでした。
私が起きてきたとき、北側の窓が不自然に開いていました。ひいおばあちゃんが死んだという事実と窓から入ってくる空気の冷たさが、ただごとでない1日の始まりを感じました。
なぜ、窓が開いているのかとおじいちゃんに聞きました。
「ここから、ひいおばあちゃんの魂が出て行ったからだ」と言いました。
ここから、ひいおばあちゃんが出て行ったのか。そうか。そうだったのか。私が寝ている間に。夢の中でさえ挨拶を交わすことなく出て行ったのか。
じゃあ、もう閉めてもいいのではないか、真冬なんだから。
もしかして、ひいおばあちゃんは帰ってくるかもしれない、と、みんな思っているのかと考えました。
だから、私ももう冷たくなったひいおばあちゃんのそばにちょこんと座って、寒さに震えて待っていました。
寒さは、こころの痛みを助長すると知りました。
そして、二度と返ってこないとわかりました。北側の窓は、一歩通行の出口だったのです。
「死ぬ」を学んだはじめての日でした。
私は、看護師になってからも、患者さんが亡くなるとき病院の窓を見つめる習慣がついていました。