あなたのためになっていますか。
長い長い闘病生活となりました。
家族も友人もみんな歳をとってしまいました。
認知症にもなりました。
ご飯を食べることも、歩くこともできなくなりました。
専門家チームは言いました。座ること、立ち上がることは、認知機能にいい、と。
関節を動かしましょう!筋力を維持しましょう!頑張りましょう!と。
でも、関節を動かすたびに、顔をしかめています。
もしも転んだら、手術するんですか。点滴するんですか。安静にするんですか。紙おむつですか。
もしも混乱してしまったら、拘束するんですか。
鼻からチューブを入れるんですか。
いつ、点滴やチューブは抜くんですか。
抜けるんですか。
矢継ぎ早に患者さんから質問されているように感じました。
私たちがやっていることは、あなたのためになっていますか。今、幸せですか。心の中で質問返ししてみました。
「今、幸せですか」と聴きたい衝動に駆られるのは、「幸せそうではない」という前提があるからでしょうか。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように一部修正しています。