行動計画と看護過程は違う。

新人看護師教育や看護学生の演習や実習において、臨床判断能力を強化することは、指導者側の大きなテーマです。

先日、某看護専門学校の新カリキュラム会議に参加させていただいていた時のことです。ある教員が「学生が受け持ち患者さんに足浴すると行動計画で発表したら、足浴をすることが最優先課題になってしまっています。私(教員)は髪を整えるほうが先ではないかと考えたので学生と話し合いました」と話されていました。

なるほど!!あるある。手段が目的化してしまうというパターンです。看護計画というのは、あくまでも患者の健康回復を支援するための計画にすぎません。その受け持ち患者さんにとって、足浴が清潔の援助であったとすれば、実施することもよし、他の方法でもよし。たとえば末梢循環の血流を促進する意図が追加されたのであれば軌道修正しながらも実践していくことが大切です。

行動計画を立てるから、計画通りにやろうとするのではないか!?いっそ、看護の方向性だけを定めておいて、患者の訴えを聴いたうえで、その時その時の最善を尽くす方法で行動しようとすることが、臨床判断能力ではないか? 何といっても、患者の反応ありきであることを見逃してはなりません。かといって、患者の反応に振り回されてもいけません( ´∀` ) この辺が、講義、演習、実習のつなぎ目を困難にしています。したがって、しばらく続くであろう学内実習では、答えがないという状況をいかに作り出し、臨床判断の多様性を共有することが大事になってきます。

看護過程は、患者の健康上の問題解決に向けて系統的にアセスメント、診断、計画、実施、評価というプロセスです。私は、このプロセスの中に臨床判断が連続的に存在するととらえています。なので、看護の行動は、臨床判断によってジャンジャン変化してよいことが前提であり、またそのときの判断が個人の偏狭な視点でないかどうか、自分の意見(気づきや対応)を述べ合う場を持つことが大切です。その時、互いの思考プロセスをほかのスタッフや患者に分かりやすく説明できるようになると、推論力、再現力、応用力につながるのではないかと思います。

臨床判断能力の強化は、新人看護師や学生、指導者、患者の三者双方の反応に丁寧に対応していくことだと結論づけました。お互いの思考過程のわかる対等な対話が大事だと考えました。

 

参考文献:『看護教育』2016 SEP.Vol57 No.9