高齢者と看護学生がともに「生活者の目線になる」実習

老年看護学実習や小児看護学実習、地域・在宅看護論実習などでは、治療の場ではなく生活の場で実習することがあります。その場合は、ともに生活者の目線で実習できないものかと考えます。

たとえば、子どもの登下校を見守るシニア世代の方々と、地域の防犯やイベント企画、お掃除、公共の場の花壇の手入れなど企画・運営を話し合って何かできないものかと考えます。その話し合いから実践のプロセスがボランティアではなく実習です。学生の主体性を求めているのであれば、実習そのものが一歩前に入り込む仕組みをつくる必要があると思います。

老健施設や特養での実習も同様です。利用者と学生と指導者が、一緒に何かをする・・・・。なにができるか?から話し合うとか。人生を楽しむために何ができるか語り合ってみてはどうか、どう生きたいか、どう死にたいか、年齢差60歳グループワークとか(^^)。指導者は、ファシリテーター。そうそう、精神看護学実習のSSTみたいなイメージです。

そんなの無理~と思うのは、誰でしょうか?

学生? 指導者? 教員? ケアの対象者?

「そんなの無理~」、だから「ほかに何かできることあるかな?」と思考をシフトできることが「主体性」だと思います。

「主体性」は伝染します。逆に言えば「主体性がない」のも伝染します~(^^♪