テトラサイクリン歯
私は、テトラサイクリン歯だ。小児期の抗生物質長期投与による歯質の変色だと思う。これは、子どもながらにかなりコンプレックスだった。しかも小学校の6年生の夏、自転車で転んで、前歯が欠けてしまった。顔面から転んだので、起き上がれないほど痛かった。一緒にいた友だちに「よっこ、歯、半分になってる」と哀れな顔をして見ていたので、余計涙があふれ出てきた。
当時、近所の歯科医は、「まだ成長期になので、部分的な治療をして、歯根は残した方がいい」と言われた。部分的に銀色の歯を入れられたのだ。前歯に。小学校6年生の女子が。こんな屈辱があるだろうか。中学生になっても私は、彼氏ができないと思った。案の定できなかった。
歯科医から見れば、小学生かもしれないが大人になりかけている。それから高校になるまで、「銀歯の子」として思春期を過ごした。思い出しただけでも忌々しい。高校になって、銀歯をかぶせている歯だけ差し歯にした。しかし、元来、私はテトラサイクリン歯である。差し歯が真っ白だと浮くので、少し、色味を合わせてくれたが「差し歯です」と自己主張が強い。「白い歯が命」と言うコマーシャルほど私を傷つける言葉はなかった。勝手に落ち込んだ。
ずっとコンプレックスだった。人の顔を見るとすぐに歯に目がいく。歯で、その人の人格を占ってしまうほど見てしまう。
思春期、アイデンティティの確立をしていく中で容姿のコンプレックスは固定概念となっていった。看護師になってからも先輩看護師から注意を受けたりすると、自分のコンプレックスとオートマチックに結びつき「どうせ」という気持ちになった。未熟なもの、足りないものをただ指導してくれているだけなのに感情的に複雑になってしまう現象が起こっていた。
30歳半ばごろ、前歯6本をいっぺんに治療した。そして、その歯もいよいよ20年がたち、この度、また6本治療した。コロナ禍でマスクをしているので、あまり治療をしたことを友人は気づかない。Zoomでマスクを外していても、あまり誰にも気づかれない。なるほど、人はあまり私の歯に興味がないんだなと悟った。今まで大事に抱えてきたコンプレックスは何だったのか。
私はコンプレックスとともに育ち、外見上は克服したが、内面的にはひねくれたままだった。ひねくれた心は執着となり、このコンプレックスを乗り越えてしまうと、「いよいよ私は、本当に素の自分で戦わなければならない」という勇気が求められた。
今の私に「必要なもの」と、「コンプレックスの痕跡」をきちんと区別していくことが大事だ。今の私は、思春期真っただ中を「銀歯の子」として暮らした過去を笑うことができる。
他者からすれば「そこ?」と思うことも、大真面目に悩んでいる人がいることを理解したいと思う。誰が聞いてもシリアスな話だけが悩みとして認められるわけではない。
看護師をしていくうえで、自分のコンプレックスが、患者さんへの対応にひょっこりと顔を出すことがある。ものすごく仕事をしても満たされないと感じたとき、小さいときからの話を徒然なるままに書いてみるのもよい。コンプレックスを克服する勇気につながるかもしれない。そして、その支援をすることも看護だと思う。