医療の進歩と看護の進歩

少年の母親は、軽度の知的障害があった。
父親はいなかった。
病院でのこまごまとした説明は、少年の20歳を過ぎたばかりの姉にしていた。
 
少年が亡くなったとき、姉は「弟の爪や髪の毛も残さず、からだの全部を研究につかってほしい」といった。「一日でも早く、同じ病気で苦しむ子どもがなくなるように・・・」と。
 
彼女は、「そばで見ているのが、苦しかった」と言いたかったのかもしれない。
彼女は、「孤独だった」と言いたかったのかもしれない。
彼女は、「青春のすべてを弟のケアに使っていた」と言いたかったのかもしれない。
 
にもかかわらず、甲斐性のない私は、彼女の思いを聴いた記憶がなかった。
 
現在の医療では、少年の病気の治療に希望がみえ始めている。
同時に、看護の進歩も求められる。
 
そんなニュースを目にするたびに、あの少年の姉の言葉とその言葉に込められた思いが蘇ってきて、苦い気持ちになる。

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。