目を凝らしてみること。

突然の事故によって、不自由な体になった。首から下が動かなくなった。

彼は「つらい」と言わなかった。たった1回以外は。

 

1回だけ、「手さえ動くことができたら、死にたい」と言ったことがある。

「妻には言わないで欲しい」と言った。「心配させたくない。犯罪者にもさせたくない」。

そこまで追い詰められていたのか・・・・。固唾をのんだ。

 

後日、彼の部下が4人ほど、面会に来た。

大勢の部下に慕われている課長だったと思った。

終始、にこやかに会社の様子を聴いて笑っていた。

きっと楽しい話をしているに違いない。

部下たちは彼を憐れんだり、一緒に泣いたり、おせっかいなアドバイスをしている様子はなかった。

看護師より看護だ。

 

たとえ、病気や障害を持つことになったとしても、社会人としての自分さえ奪われなかったら、自分らしく生きていける。

 

社会人としてのその人を奪っているのは誰だ?

病院か?社会か?人々の偏見か?

生活を変化させるための退院指導や内服指導、社会人としてのその人の側面を無視した対応・・・・私だったかもしれない。

 

人間は、社会的な存在である。

その人のいろいろな側面を目を凝らしてみなければ、患者という生命体にしか見えない。

 

「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。