あなたにはお礼しかありません。「ありがとうございました」

昨晩、息子から電話があった。「ばあちゃんに電話しても電話にでない」と。

お義母さんは、いつもデイサービスの前日、お風呂にはいる。私は「お風呂かな~」と呑気に答えた。

また、息子から電話があった。「やっぱりでない」と。主人が見に行ってくるわ、と言って出掛けた。お義母さんの家は我が家から自転車で五分のところにある。

しばらくして、主人から電話があった。「おかん、風呂のなかで死んでるわ」!!!「救急車呼んでおいて、今から私もいく」。

お風呂上がりだった私は、帽子とマスクと訳のわからないコーディネートの服を着て、あらゆる信号が嘘のように青くて、無心に自転車をこいでお義母さんの家にたどりついた。救急車と同じくらいに着いた。主人は救急隊員の電話の指示を聞きながら、風呂から引きづり出して胸骨圧迫をしていた。救急隊員は、AEDをスタンバイしていた。

お風呂の温度は冷めていなかった。発見が比較的早かった。お義母さんは、お風呂に顔を沈めていたらしいが、眠っているようにきれいだった。

私は「もう、AEDはしないで下さい」と言った。救急隊員のかたも「お風呂にはいっていたので温かいのですが、下顎の拘縮から考えると死後硬直が始まっていると思います」と言い、警察と連絡を取り合うことになった。

私は、お義母さんの風呂上がりの髪を乾かしながら涙がでてきた。何てきれいな寝顔なんだ。なんて温かい手なんだ。手を握りしめたら、握り返してくれそうな温かさと表情をしている。

お風呂は気持ちよかったの?お義父さんを見送って9カ月もたっていないけど、お義父さんのそばが良かったの?

前々日、主人が仕事で留守だったので、私はお義母さんと一緒にご飯を食べた。よくわからない魚の干物を二人で分けて食べた。骨が一杯ある食べにくい干物だった。不味くはないけど美味しくもなかった。なんの魚かな~と言いながら、二人で口から骨を出しながら食べた。楽しかった。また来るね!と言って帰った。本当にまた来るつもりだった。でも、あれが一緒に食べる最後の晩ご飯となった。一生、約束は果たせなくなった。

警察の人が来てから、「変死」として何度も同じことを聞かれた。こんなときの主人は冷静だ。スマホの履歴を見ながら淡々と答えている。反面、私は時々、お義母さんのそばに行っては泣き崩れ、また冷静になって、内服薬の説明や既往歴について説明をした。私も主人もお義母さんのことをこれでもか!というほどよく知っていた。お義母さんは、私たちに何でも教えてくれていたのだ。嬉しかった。有り難かった。聴いておいて良かったと思った。

警察のなんやかんやは、夜中の一時までかかった。遺体はしばらく警察に預けられるらしい。裸ん坊で可愛そうに….とは案外思わなかった。

夜中の一時、私は頭上にある半分もないくらいの月を見上げながら自転車をこいで家に帰った。お義母さんがそばにいてくれていると思うと背筋が伸びた。そして寒くもなく、寂しくもなく、感謝の気持ちが溢れてきた。私のメガネが白く曇った。

息子の結婚式の前日、うちの母とお義母さんと私の三人で温泉に入った。夕日の沈むところを三人で眺めた。それぞれに感嘆の声をあげた。次の朝、三人で朝陽の昇るのを温泉から眺めた。また、それぞれに感嘆の声をあげた。幸せだった。

今思えば、お風呂にご縁があったのだろう。

お義母さんが発注した私の実家のみかんのお歳暮は、予定どおりみんなに届くようにしておこう。私がみんなに一筆お手紙を添えておこう。

母の生前は大変お世話になりました、と。

本当にありがとうございました。やっぱりその言葉しかない。

でもなあ、もう少しお義母さんでいてくれてもよかったのに。