凛として進みだす背中
ドラマのようなシーンではない。
がんの告知をされたときも、
重い後遺症が残ると説明をされたときも、
家族に見守られながら息を引き取ったときも、
緊張感と重い時間が流れている。
そこにいるみんな、感情をいったん仕舞うようだ。
涙があるれ出すのは、少し時間がかかる。
悔しい、悲しい、寂しい、つらい、惨め・・・怒り。
不安、焦燥、無念、否定、絶望・・・・
どんな言葉にも置き換えることのできない混沌とした感情の渦から、整理していく時間の中で、やっと涙が出てくる。
その時、ものを蹴っ飛ばしたり、暴言を吐いたり、大声を出しても、恥ずかしいことではない。
当たり前のことだ。人間が生きるという営みの中のごく自然な表現なのだ。
「どん底だ」と言い放っていた人が、凛として進みだす背中を見てきた。
看護師は、ただ、その道のりを伴走者のようにいるだけ。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように修正しています。