私は兵庫県民ではないですが、兵庫ではお仕事させていただいておりますゆえ・・・・

テレビや新聞のことをオールドメディアと言い、ネットニュースの見出しを引用すると『宮根誠司「大手メディアの敗北」泉房穂氏「ネットの勝利、オールドメディアの敗北」斎藤前知事当確受け』とありました。

内容はともかく、大手メディアはネットと勝負してたんですか? 笑笑 形の違う情報源です。勝手に勝負して、何をもって敗北宣言したのか?その点の方が興味深いです。

潮目が変わっていく様子は明らかで、圧勝だなと感じていた私。それなのに「市長さんたちがお揃いになって斎藤知事と違う人を応援します」宣言には本当に驚きました。「周りで止める人おらんかったんか」と大きなお世話なことを思ってしまいます。たとえ渦中にいたとしても、冷静に風向きを感じることのできる私でありたいと誓った出来事でした。

また、10代20代の若者の投票率が上がったのことについてSNS時代と言う見解があります。しかし、私がコロナ禍以降、ネットを使った方法で若者と接してきていますが、どんなにあふれかえった情報があっても、どんなに興味深い情報があっても、行動に移すのは一部の人だけです。たくさんの情報と興味深い情報がある環境下で人間が動くのであれば、みんな国家試験に合格しているし、ダイエットに成功しているし、英会話もペラペラになっているし、投資も成功してお金持ちになっています。

今回の知事選挙においては、「選挙に行っておいた方がいいかな」「斎藤知事に入れたいな」「選挙に行った写真をインスタに・・・」などなど、人それぞれの動機があり行動に至った人が半数を超えていたということですね。まあ、組織票とやらと言う存在ですら、そこの組織に属することに何らかのメリットがあるのでしょうから、ねえ。それも立派な意志ですよ。

「また斎藤知事と一緒に働くなんて嫌です。もうやめたいです(県庁職員)」みたいな記事も目にしましたが、「やめたらええがな」と心のつぶやきが独り言となっていました。

人のせいで辞めなければならない職場をつくっているのは自分です。自分の選択ですから。

情報社会を生き抜くためには、自分で取捨選択していかなければならないのです。テレビや新聞だけの情報だとわからないな、SNSの情報だけなら偏ってしまうな~と思えば、ほかにいくらでも情報収集できる時代になりました。つまり「ネットの勝利、オールドメディアの敗北」というかんじでもないような・・・が私の意見です。今後もラジオが好きな人もテレビが好きな人も否定されるべき存在ではありません。

ちなみに私はテレビを観ません。理由はテレビの前でじっと座っていられないのです(笑)。それにコマーシャルがうっとうしいし、観たい内容も不透明。ニュースと言っても、グルメ番組?旅番組?みたいな感じで、「どこや?今日は」とワクワクしないんです。それなら私が行きたいとこをネットで探したり、そこに行ったことのある人に聞いたりします、と言うだけです。

この感覚は、私よりも若い世代に多く見受けられるように思います。逆に言えば、観たいものがあれば観るし、また行動に結びつく動機があれば、いろんなアイデアを出して行動できるのです。いい時代ですよ。

都知事選、総裁選、衆院選、アメリカの大統領選、兵庫県知事選と怒涛の情報量が押し寄せてきて、情報疲れ気味になっています。

どんなに総理が変わっても、世界の情勢が変わっても、私の目の前の窓の向こうでは青空と少しの雲、海、風に揺られる木々が秋の深まりを知らせてくれています。夏と勝負していませんよね・・・