どんな記憶に変化しているかは未知数

私が生まれ育った町は、小学校も中学校も給食があった。カレーライスは印象に残っている。ごはんにカレーをかけると具がごはんの上に残ってお茶漬けカレーのようになった。午前中の授業中にカレーライスのにおいが教室まで漂ってくると「今日はカレーか!」と思った。お腹がぐ~となるので、椅子を引いたりしながらごまかしていた。

昨晩は、主人がつくってくれたカレーライスだった。私は、帰宅してカレーライスのにおいがすると「今日はカレーか!」と思って嬉しくなった。主人がつくるカレーライスのほうが私がつくるカレーライスより数倍おいしい。汗だくになりながら、鍋の中をかき混ぜてくれていた。そして汗だくになって食べた。

患者さんも食事は楽しみにしている。カレーライスは人気がある。高齢者の方にも食べやすい。多少食欲がなくても、程よく味がついているし、ごはんも飲み込みやすくなる。「今日はカレーか!」と言って絶望している患者さんにはあまり出会ってこなかった。しかし、嘔気があったり、口の中がただれていたりする患者さんにとっては残酷な時間でもあった。

お義母さんは「今日はカレーか!」と言って絶望していた一人だった。(過去のブログ)

お義母さんは3年前に脊柱管狭窄症のために手術目的で入院した。今思えば、コロナ前である。キャンセルが出たからと言って、大幅に前倒しになって手術を決断した。今思えば超ラッキーだった。コロナ禍に突入していれば、どうなっていたことかと思う。今では、近所のスーパーまで歩いて行けたり、週に一回のデイサービスも楽しんだりしている。「あの時、手術ができてよかった」と思っている。

お義母さんは、整形外科の午前中の手術だったので、何も問題がなければ夕食から普通食だった。手術後当日は、点滴や膀胱留置カテーテルが入っており、コルセット装着をつけて横を向くことが可能だった。その状態で、晩ご飯がカレーライスだった。確かに今日だけは食べにくいと思った。「コンビニでおにぎりでも買ってこようか?」と訊くと、「カレーのにおいを嗅ぐと食べたくなる」と言った。「まちがいない!」と思い、横向きになって食べることにした。「何も食べていなかったので、おいしい」と言っていた。下のほうの頬やあごがカレーまみれで拭いても拭いても食べこぼす。そんなお義母さんが、かわいいと思った。カレー臭が病室中に充満していた。この光景をコロナ禍では見ることができなかったんだと思うと、貴重な体験ができたと感じる。

半分程食べてから「今日はこれくらいにしておくわ、横むいて食べたら、カレーが出てきそうやわ。年寄りはな、逆流性食道炎が多いねん」と言ってスプーンを置いた。「逆流性食道炎」と言ったかと思えば、食後の歯磨きは入念だった。いろんな形の歯間ブラシや舌ブラシも持ってきていた。お義母さんは長生きすると確信した。

脊椎の手術当日にしては元気な方だと思った。明日からはもう歩けるようになる。明日、カレーライスだったらよかったのにと思った。でも、横を向いてカレーまみれで拭いても拭いても食べこぼすお義母さんに出会えて、それが記憶に残っていることが良かったのかもしれないと思う。

過去を書き換えることはできないが、過去に起こった事実の解釈は何通りでも書き換えることができる。「今日は、カレーか!」の記憶も何通りにでも書き換えることができる。

そういえば事故を起こした日は人生最悪の日だと言っていた患者さんが、その日に結婚式を挙げた。今日からは、毎年、その日をお祝いできると言っていた。

たとえ、「今日はカレーか!」だったとしても、それが何年か先には、どんな記憶に変化しているかは未知数だと思うとわくわくする。