生きていることに感謝できない私
延髄梗塞で一命をとりとめたこと。22日間で退院できたこと。
それがどれほど数奇で、どれほど大きな出来事か・・・・・。
私の頭はよく分かっている。
それでも心が追いつかない。
感謝の言葉が湧いてこない。
前を向く力が出てこない。
命が助かった人は、すぐに「ありがとう」と思えるわけではないということを知った。
まず、「怖かった」「しんどかった」「失うかもしれない」「もう戻れないかもしれない」と思った。
その重さを、身体と精神で受け止めるには時間がかかるようだ。私はその渦中にいる。
感謝は「しなければならない感情」ではない
感謝は、努力してひねり出すものでも、前進するための条件でもない。
感謝は、回復の結果として、ある日ふっと湧いてくるものかもしれない。
今の私に必要なのは、「感謝できる自分になろう」とすることではないようだ。
いま、生きている私は「止まっている」ように感じる。
やる気が出ない。
前に進めない気がする。
私は、ものすごい速度で回復している。
ただ、それは外から見える前進ではないようだ。
生き延びた。重大な合併症を起こさなかった。自分の状態を理解している。
これらでさえ「止まっている」と感じてしまう。
未来の私から、今の私に贈りたい言葉
ありがとうと思えなくてもいい。前を向けなくてもいい。
私が今回生き延びたことには、意味があるかも。
でもその意味は、今すぐ見つけなくていいかも。今すぐ感謝できなくていいかも。
意味は、私がまた誰かの話を聞けるようになったとき、誰かの不安に寄り添えるようになったとき、私の言葉が誰かの命を支えたとき、現れてくるかも。
今はただ、生かされている自分を評価しないで、そっと待とうと思う。
ちょっと思うようにできなくて、何もかもが面倒に思うことが続いているけど、ちょっとそんな私も私として受け入れてみようと思う。
師走のお天気の良い日も何もできずにこたつにいる・・・・・

