グリーフケアとは何か

お義母さんの四九日の法要が終わった。その日をきっかけに、お義父さんとお義母さんが住んでいた家から我が家に仏壇を移動させた。小さな仏壇が取り払われた家は、人気のない「空き家」となった。

私はたびたび仏壇お花の水をかえたり、線香を上げたりするために訪問していたが、玄関を入るとき、いつものように「お義母さん、よしこ~」と声をかけて入っていた。そこは、真っ暗なだれもいない家であるにもかかわらず。しかし、私には、誰かいるように感じたので自然と声をかけていた。もちろん返事もないし、どの部屋もどの部屋も明かりがついていない。でも、明らかに温かいのだ。人の気配がする。供えている花や果物が息をしていた。

私が生まれ育った実家でも、誰かが死んだ後、同じように感じていた。「宗教観」でも「スピリチュアル」の話でもない。そう感じるという私の主観の話だ。

ひいおばあちゃんが死んだ昭和51年は、まだまだ古い風習が残っていた。初七日までは檀家の僧侶が毎日自宅に来てくれてお経をあげた。四九日は親戚のみならず、檀家の人が総出で来てくれた。私は幼かったので九九を覚えるようにお経を覚えた。そして、ことあるたびに故人を語り合うのだ。誰に押し付けられたわけでもなく、地域住民の中でカタルシス、グリーフケアを助け合っていた。

しかし、そこから10年もたたないうちに集落の高齢化や核家族化は進み、祖父、祖母、父が亡くなるたびにお葬式は簡素化されていった。

それでも、初盆、一周忌や三回忌といった習わしのたびにお経があった。庭に花が咲くと仏壇に供えた。ご飯が炊きあがると仏壇に供えた。誰かにお土産をもらうと仏壇に供えた。それが当たり前だった。特に意味など知らないが、家族のだれもが当たり前のようにやっているのをみかけると、あたかも歯を磨いたり、お風呂に入ったりするのと同じようにやっていた。それが当たり前だと思っていた。それは、育った文化の違い、環境の違いであり、世界はおろか日本でさえも誰もがやっていることではない。

近年は、「宗教二世」などと言う言葉もあり、私が息子夫婦に「四九日に来い」と強要するのはダメなことなのか?と考えたりする。息子夫婦はおばあちゃんが大好きだったので率先してやってきて、仏壇と一緒に過ごし、「ばあちゃんの形見」と言って、写真や電化製品やティッシュペーパーまで持って帰った。息子たちが、子どもたちに何を受け継いでいくのかは、息子たちで決めればよい。どうやらそれは、仏壇や墓という物質ではない。また、四九日や初盆という習わしでもない。

故人とは何か。故人とどう向き合うか。それは、自分としてどう生きるかである。そんな「質」を個人個人が求められる時代が来た。

そんな時代に「看護」は何ができるのだろうと考えた。少なくとも「宗教」と言う言葉よりも「当たり前と思ってやってきたこと」、「そう感じる」という主観を理解することと考えたほうが腑に落ちやすい。

兄妹や夫婦、親子でさえ「違い」が生じる。

その違いを理解しつつ、故人を偲び、また、故人との「終止符」と「スタート」をサポートする役割は看護師にはある。