自分に還る
私は、関西国際空港について自宅に帰るまで、必ず考えることがある。
「早くお風呂に入りたい」「洗濯したい」。
湯船につかったときは、旅の疲れもぶっ飛び、また楽しかったことを思い出し、明日の予定を考えながら現実の世界に戻ってくる。
お風呂は、ご飯を食べたり、排泄をしたりすることと同じ日常生活のごく一部である。しかし、旅行から帰ってきたときのお風呂、一日中緊張した仕事をした日のお風呂は、特別の意味を持つ。「自分に還る」ような安心感を与えてくれる。
「自分に還る」という安心感は、きっと人それぞれ違うと思うが、ほとんどが日常の反復の行動の中にある。
食後のコーヒー。読書や音楽、手紙を描く、聖書を読む・・・など。私は、患者さんがいずれかに没頭している場面を何度も見てきた。
病院や施設に入るということは、ごく当たり前の反復していた行動を奪ってしまうことがある。健康に害のないものであれば、「自分に還る」時間をつくることは大切だ。
だから、ゆっくりとお風呂に入ることを手伝ったり、ラジオのチャンネルを変えたり、本を読めるようにセッティングしたりすることはまさに「看護」である。
その瞬間だけは、ただただ、病気のことも、障害のことも、つらいことも、不安になることも忘れさせてくれる、そんな豊かな時を創造している。
しかし、これらはあまりにも日常的過ぎて、見過ごしたり、押し付けたりしてしまう。丁寧に意識しなければ「看護」だと言い切れなくなってしまう。
ちょうどいい加減にピントをピシッと合わせることができるのがプロのなしえる技であり、[Art」と呼ばれる所以でもある。
「看護」とは何かについて考えていくことを意図として、「看護師日記」を書くことにしました。私の看護師、看護教育の経験に基づいて表現していますが、人物が特定されないように、また文脈を損なわないように一部修正しています。