赤松利市さんの『藻屑蟹』を、いま読んでいます。まだ途中なのですが、どうしても書き留めておきたいことが浮かんだので、こうして綴っています。
東日本大震災と原発事故。その渦中で、人々の暮らしとお金がどう絡まり合い、人の心をどう揺らしていくのか。降って湧いた補償金、その額の大小をめぐる嫉妬、身近な人の死と引き換えに受け取った金への罪悪感。読んでいると、胸が苦しくなります。けれど目が離せない。地面の上で生きる普通の人たちの心の叫びが、生々しく迫ってくるからです。
この本を読みながら、私はずっと「お金とは、いったい何なのだろう」と考えていました。
そして、ふと気づいたのです。お金というものの正体について。
もらいすぎているという自覚があれば、定年や契約の終わりを思って、「減るかもしれない」という不安がよぎる。逆に、少ないという自覚があれば、「もっと増やさなければ」と焦りが生まれる。方向は正反対なのに、行き着く先はどちらも同じ不安なのです。
『藻屑蟹』の登場人物たちも、金額が増えても減っても、人の心はざわめている。入金がないといっては慌てふためき、見たことのない現金と言っては焦燥感が溢れる。金額そのものは、どうやら安心源にはならないらしい。多くても少なくても、人は不安を手繰り寄せている。
何があれば安心なのか、
「だんだん増えていく」という実感ではないか、ということでした。たくさんあるかどうか、ではなく、増えていく方向にあるかどうか。点の大きさではなく、線の向き。
お金のことだけではない。
歳を重ねるというのは、世間ではしばしば、何かを失っていく過程として語られます。健康が、若さが、選択肢が、少しずつ減っていく。引き算として。
でも、私はそうは思わないです。
歳を重ねるほどに、見えてくるものがある。わかるようになることがある。許せるようになることや、味わえるようになることがある。
昨日より今日、今日より明日のほうが、ほんの少しでも幸福感が増していく。人生は、そういうふうに「だんだんよくなっていくもの」。多少ジグザグする。でも、総じて上がり傾向なのだ。
そしてここが肝心なのですが、それは増え続けることが保証されているから安心なのではありません。「だんだんよくなっていく」という主観だ。それ自体がもう、幸せなのです。
幸福は、たどり着いた先にある到達点ではなく、向きを信じられている、いまこの瞬間の心の状態なのかもしれません。
『藻屑蟹』が描くのは、流れに呑まれ、そこから抜け出せない人々の姿です。川底を這う蟹のようです。
この先、登場人物たちがどんな道を選ぶのか。それを見届けたうえで、もう一度この問いに戻ってきたいと思います。
苦しいけれど、確かな手応えのある一冊です。お金と幸福について、自分の足元から考えてみたい方におすすめです。

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